ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第190話 1986年富士急 微妙な観光路線(その3)

1986年当時の富士急には、1975年製の比較的新しい5000形がいました。

この車両には全く興味はありませんでしたが、勢いで撮影していたのでついでに話題に挙げます。

 

1.モハ5002+モハ5001 (寿~三ツ峠:1986年8月)

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 5000形(注1)は3100形以来久々の自社発注車です。抑速ブレーキ付きの2扉セミクロスシート車で、富士急初の冷房付きでした。導入当初は地方私鉄では画期的な車両だったようで、鉄道友の会ローレル賞を受賞しましたが、実態は当時の国鉄115形を2扉化した様な車両で、失礼ですが特別どうこう褒めたたえる程ではない感じですが、なによりこの車両の導入で富士急も国鉄乗り入れ車と何とかバランスが取れました。

 

2.モハ5001+モハ5002 (三ツ峠~寿:1986年8月)

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(注1)5000形の車歴

・富士急モハ5001+モハ5002:1975年日本車輌

5000形は導入当初は「お買い物電車」として、新築した富士吉田の駅ビルPR用に特別ダイヤまで設けて活躍しましたが、その後は増備もされず、3100形同様に連結相手もいないため、昼寝が多くなりました。しかし、車齢が若いので現在も在籍しています。 

 

3.モハ3602+モハ3603 (河口湖:1986年8月)

 

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 1986年当時、辛うじて在籍していた生え抜きの吊掛車が3600形(注2)2両でした。

この車両は富士急の前身である富士山麓電鉄モハ500形で、その生い立ちは、モハ3602が富士山麓電鉄が開業時に導入したモ1形を1952年に車体更新したもので、モハ3603は新製車です。

3600形は最多10両が在籍しましたが、小田急1900系種車とした5200形が導入されると廃車が始まり、両運車ですが、晩年は2連で使用されていました。なぜかモハ3602はクロスシート車でモハ3603はロングシート車でした。

(注2)モハ3600形の車歴

・富士急モハ3602←富士山麓モハ503←富士山麓モ3:1929年日本車輌

・富士急モハ3603←富士山麓モハ509:1953年日本車輌東京製

 

 

4.モ1保存車 (河口湖:1986年8月)

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 この時、偶然河口湖駅の留置線にいた茶色い電車は、富士急創立60周年記念で復元保存されることになった、元富士山麓電鉄モ1でした。

こんな車両を新製するはずもなく、それまでどこに隠していたのかと思いましたが、実はこの車両は上田交通で廃車後保管されていた車両を引き取ったものでした。

そういえば、上田交通訪問時に上田原車庫の外れに、廃車なのか何なのか分からない車両の留置群がありましたが、その中にいたモハ4257そのものです。

上田交通モハ4257については、第27話をご覧下さい。)

 

5.モ1保存車 (河口湖:1986年8月)

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この保存車は、富士山麓電鉄が、1929年の開業時に製造したモ1を、1954年に車体新製してモハ500形に改造する際に、不要となったモ1の車体を上田交通に譲渡し、上田交通モハ4257となったものです。

上田交通モハ4257は1983年に廃車となり、1984年に富士急が引き取って復元改修しました。車体はほぼ現車を維持していましたが、台車は東急から購入したお古だそうです。

 

6.5700形、モ1保存車 (河口湖:1986年8月)

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現在、モ1は河口湖の駅前に場所を移して保存されています。

その後、富士急には1990年に2度目の訪問を行いました。その時の状況は改めて報告します。