それは一般貨物ではなく、自衛隊百里基地のジェット燃料輸送でした。しかしなかなか撮影のチャンスがなく、ようやく撮影できたのが1986年4月でした。
1.DD901+タキ6連 (玉造町~榎本:1986年4月)
待望の貨物列車は空タンクの回送でしたが、運よくDD901の牽引でした。
この頃、鹿島鉄道にはDD13タイプで自社発注のDD902と、国鉄から譲受した本物のDD13が1両在籍しており、すでにDD901は予備的な存在だったので、この写真が撮れて本当にラッキーでした。その後も鹿島の貨物を撮りに出向きましたが、この年にもう1両国鉄のDD13が入線し、ますますDD901の撮影チャンスが減ってしまいました。結局まともなDD901の走行撮影はこの1枚だけです。
なお、DD901の車歴は第70話をご覧下さい。
2.キハ602(浜~玉造町:1986年4月)
鹿島鉄道には湘南顔の気動車に紛れて元国鉄の機械式気動車の成れの果てであるキハ600形が2両いました。車齢も古かったのですが、一番元気に走っていました。よほど調子が良かったのか、道産子気動車を差し置いてワンマン化、冷房化まで行われ、路線廃止まで活躍しました。
3.キハ601(浜~玉造町:1986年4月)
キハ600形は本来は卵型流線形の元国鉄キハ42000系でした。関東鉄道時代に関東流の洗礼を浴びて、食パン切妻化されてしまいましたが、常総線のキハ610形が片運で車体中央扉を両引きにしたのに対し、キハ600形は両運で中央扉は片引きを維持した点が異なります。しかし、この食パン切妻化はどう考えても鹿島には必要なく、どうしてこうなってしまったのか悔やまれます。
4.キハ601(玉造町~浜:1986年4月)
さて、もう一つ「北海道の帰り道」のリベンジは、筑波鉄道です。
ところで、筑波鉄道はいよいよ廃止の現実が見えてきました。翌年の3月末には廃止されるとのことで、もう1年を切りました。
沿線を見ている限り、筑波よりも鹿島の方が先に廃止されてもおかしくない様に思いますが、やはり鹿島はジェット燃料輸送という強い助っ人がいたのが生き残りの理由です。
5.キハ461廃車留置 (真鍋:1986年4月)
キハ461がちょうど良い場所に留置されていました。
廃車になってから結構たちますが、この車両もこの先どうなることやら当時は見当もつきませんでした。
6.キハ763 (上大島:1986年4月)
筑波鉄道の走行写真は2年ぶりでした、2年前(第56,57話)はまだインスタントカメラだったので満足な撮影ができませんでしたが、今回はまともなカメラでの撮影でした。
もう少し撮影ポイントを事前確認しておけばよかったのですが、行き当たりばったりで、上大島にちょうどやって来た列車はキハ763でした。この車両は元雄別鉄道の道産子ですが、平凡な貫通タイプなのでイマイチつまらない車両です。適当に撮ったのが上の写真ですが、なんとなく廃止が近い雰囲気です。
7.キハ505 (常陸北条~筑波:1986年4月)
そして、この写真は定番の筑波山をバックに取ったキハ505です。なぜか筑波山が半分しか写っておらず、車両がなければどこなのか判別できません。いつも同じ構図で撮るのも面白くないので、考えたあげくの構図だったと思われますが非常に中途半端でした。
この日は天気も良く、絶好の撮影日和でしたが、筑波鉄道は列車本数が少なく、列車もつまらなく、そしてこの日は鹿島鉄道にも出向いたので、筑波鉄道の写真はたったの3枚だけでした。