ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第200話 番外編 幻のステンレス製気動車

早くも第200話となりました。

第100話では番外編として、私の鉄道模型履歴を少々話題にさせていただきましたが、第200話はどうしようかと思案した結果、今回はちょっと気になる写真をまずはご覧頂きます。

 

1.幻のステンレス製気動車 (某所:1987年9月)

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これ、何だと思いますか?

製作中なのか?廃車体なのか?・・・・模型の世界ではよく作りかけでお蔵入りになってしまうケースが多々ありますが・・・・。

さて、ステンレス製のキハ47のように見えますが、そんな車両は過去においても存在しません。それじゃあ何かと言うと、「幻のステンレス製気動車」と言うことにしておきましょう。

しかし、この構体は結局車両としてデビューすることなく、人知れず陽の目を見ずに消えて行きました。その真相については謎に包まれています。ちなみに撮影したのは30年以上前で、場所は「或るところ」ですが、既にこの場所は再開発されて跡形もありません。

ステンレス製気動車といえば、あの茨城交通のケハ601を思い出しますが、その後日本の気動車界に登場したステンレス製気動車は、国鉄キハ35形900番代を除くと、国鉄が分割民営化される直前に導入した特急車のキハ185形、急行・一般用のキハ54形、キハ31形まで間が空きます。(なお、この間ステンレス製気動車が全く製造されなかったわけではなく、海外輸出用に製造された経緯はあります。)

このステンレス構体は、形態から推定すると昭和50年代に試作されたものと思われます。もしかすると国鉄キハ47あたりがモデルになったのかも知れません。よく見ると側構体はビードレス外板を使用しており、昨今の軽量ステンレス構体の様にも見えますが、製法は全く違うものと思われます。ステンレス鋼材もSUS301ではなさそう?で、SUS304か?

そして、妻面はステンレス流し台のごとく古典的な叩き出しで、まだFRPが主流になる前の様です。

以下、ご参考までに昭和の時代に登場した国内のステンレス気動車の写真を少々ご覧下さい。

 

2.茨城交通ケハ601 (那珂湊:1987年2月)

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時期尚早とは、まさにこの車両のことです。まだ電車でもステンレスカーが一般的ではなかった1960年に登場した新潟鐵工製の日本初のステンレス気動車です。試作的要素 たっぷりのこの車両は当然のごとく一発花火でした。この車両については第36話をご覧下さい。

 

3.国鉄キハ35-901(保存車) (碓氷峠鉄道文化むら:2009年9月)

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続いて1963年には国鉄もステンレス気動車に手を出しました。

それがキハ35形900番代でした。当時塩害で悩む房総地区に10両配属されましたが、これも後が続かず、そのうち房総からあちこちに転じて、いつのまにか「たらこ色」に塗られてしまい、“隠れステンレスカー ”になってしまいました。それにしても、「無塗装が売り」のステンレスカーを塗ってしまうとは本末転倒です。

電車は別として、気動車にステンレスカーがはやらなかった理由は、材料コストと加工性の問題にあります。そもそも気動車はローカル線向けの車両で、そんなにお金を掛けられないわけで、高価なステンレス鋼は贅沢でした。そして加工性の問題は事故時の復旧が困難であることと、安易に車体改造が出来ないことにありました。ローカル線は踏切事故が多く、ステンレス車は車体が凹んだ程度でも致命傷となりました。少なくともその当時のステンレス鋼は、現在のステンレスカーで使用されているステンレス鋼とは物が違い、アーク溶接も出来ませんでした。

ゆえに、国内の気動車にはステンレスカーがはやらなかったわけですが、・・・・

 

4.JR四国キハ185形(増備車) (某所:1988年3月)

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 ところが、1980年代になるとアーク溶接も可能なステンレス鋼が鉄道車両にも適用され始め、やがてコストも下がり、鉄道車両用の鋼材として主流となってきました。これをローカル線向けの気動車にも波及させたのが、国鉄末期のステンレス製気動車です。

具体的にはキハ185形、キハ54形、キハ31形ですが、これらは当時の国鉄が分割民営化されるにあたり、不採算路線となるだろう北海道、四国、九州のために、耐腐食性に優れ、少しでもランニングコストの少ないステンレスカーを置き土産にしようと奮発したもので、いわゆる「3島対策」の一環でした。

 

5.土佐くろしおTKR8000形 (某所:1988年1月)

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 そして、これが引き金となって、本来お金がないはずのローカル線(ほぼ赤字転換された第三セクター)にも、補助金で立派なステンレス気動車が導入されました。

当時世の中はバブル期だったためか、このTKT8000形などは大きな窓の展望席、トイレ、エアコン付きで、増備車はビデオ、カラオケ完備のフル装備車でした。この車両が走る路線は、それほどの観光路線とも思えず、もしかして、経営難に陥ったらこの車両をカラオケボックスに転用する意図でもあったのか?

しかし、ゴージャスな様で実は、側構体は国鉄キハ31形の切り貼り。そして、白いお面は何とも安っぽい鉄板細工。いかにも製造コストの削減をねらった第三セクター向けの車両そのもので、高級車に成り切れなかったバブル期の産物です。

TKT8000形もキハ185形も誕生から30年以上が経ちました。ステンレスは朽ちませんが、かなりくたびれていると思います。現車はすでに更新改造を行っていますが、最近のDECなんかに負けないよう、もう30年くらいは頑張って欲しいですね。