ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第207話 1991年南海(貴志川):南海の離島(その3)

本来私は、大手私鉄の電車には興味がありませんでした。しかし1990年代になるとローカル私鉄も大手の中古カルダン車を導入する様になり、そもそもの吊掛車自体が絶滅危機に瀕する状況だったので、大手の吊掛車に目を向けざるを得ませんでした。

当時大手私鉄で営業用の吊掛車を保有していたのは、この南海(貴志川線)の他には、近鉄、京阪、名鉄東武、西武、東急くらいでしょうか?しかし、その大半は吊掛車とは言え、車体更新をした一見カルダン車モドキだったりで、純粋な旧型車は数える程でした。

 

1.モハ1204+モハ1210 (伊太祁曽~吉礼:1991年9月)

f:id:kk-kiyo:20190526075016j:plain

 9月の貴志川線はそろそろ稲刈りの時期ですが、畦道に彼岸花が咲き、ローカルムードたっぷりでした。

 

2.モハ1204+モハ1210 (西山口~大池遊園:1991年9月)

f:id:kk-kiyo:20190526075049j:plain

 大池遊園から西山口間は里山的な光景が展開していました。

 この辺りは山間の田園地帯ですが、振り向くと都市化が着々と進んでいました。

 

3.モハ1210+モハ1204 (大池遊園~西山口:1991年9月)

f:id:kk-kiyo:20190526075107j:plain

 貴志は和歌山市の近郊なので新興住宅地になりつつありました。しかし道路も完備されており貴志川線の利用客増加につながるかは微妙でした。

 

4.モハ1210+モハ1204 (吉礼~伊太祁曽:1991年9月)

f:id:kk-kiyo:20190526075134j:plain

 モハ1201形は18m車なので、2連を真横から見るとかなり大きく見えます。1970年頃まではこの車両が南海本線を100km/h程の速度で走っていましたが、貴志川線ではノンビリしていました。

 

5.モハ1241+モハ1234 (伊太祁曽~吉礼:1991年9月)

f:id:kk-kiyo:20190526075218j:plain

 バブル期になると貴志川線にも設備投資の恩恵が現れました。
先ずは、架線柱のコンクリート化です。非常に地味な投資ですが車両に比べて架線柱が立派過ぎて困ってしまいます。やはり吊掛電車には木柱が一番似合いますが、さすがに大手私鉄だけあって、瞬く間にコンクリート化されて行きました。

 

6.モハ1217+モハ1203 (伊太祁曽~吉礼:1991年9月)

f:id:kk-kiyo:20190908063311j:plain

 ここは、吉礼付近で、後方の山はみかん畑でしたが、ここもすぐ近くまで宅地化が迫っていました。ローカル線らしい風景は、なかなか撮影し辛くなってきました。