ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第210話 1991年野上:自爆の設備投資(その2)

続いては、1年後1991年9月の野上電鉄ですが、行ってビックリ、とんでもない車両がいました。

 

1.元水間鉄道モハ509 (日方:1991年9月)

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 この車両はまぎれもなく元南海モハ1201形です。しかしこの塗装は水間電鉄のモハ500形でした。どうしてこんなところに・・・。

実は昇圧して東急7000系を導入した水間鉄道から、不用となったモハ500形を野上電鉄が設備投資の一環で購入したものでした。

ところで、いまさら元南海の1201形を購入するとは大した度胸だったと思います。いつまで使うつもりだったのか?しかし、本家の南海では、離島の貴志川線でバリバリの現役車だったので、まだまだ使えると思われたのでしょうか?もっとも、この時期には600Vの中古車など入手が困難だったので、ちょうど良い買い物と思われたのかも知れません。

 

2.元水間鉄道モハ509、デ13 (日方:1991年9月)

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 車庫内には他にも元水間のモハ500形(注1)が転がっており、調べてみたら車庫以外にも点在し、合計5両(モハ500形4両、クハ550形1両)もいました。

(注1)野上電鉄が購入した元水間鉄道モハ500形、クハ550形の車歴

・水間モハ501←南海モハ1206←南海モハ139:1934年日本車輌

・水間モハ503←南海モハ1239←南海クハ1912Ⅱ:1942年汽車会社製

・水間モハ507←南海モハ1211:1936年日本車輌

・水間モハ509←南海モハ1215:1936年日本車輌

・水間クハ552←水間モハ504←南海1212:1936年日本車輌

この内、モハ503,507はすでに南海貴志川線にもいなかった1段下降窓のタイプでした。

 

3.元水間鉄道モハ501、モハ31 (日方:1991年9月)

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 さて、これだけの車両投入となれば、当然廃車も出るはずです。

富山地鉄から来たデ11~13の3両は、日中の単行運転に重宝されていたので、これは残るとして、その他の阪神、阪急の残党はいよいよ見納めです。

 

4.元水間鉄道モハ507 (日方:1991年9月)

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 しかし、いつまでたっても元南海1201形は竣工せず、何の音沙汰もなく、いつのまにかいなくなってしまいました。

なにやら、元南海1201形はデカ過ぎて橋梁の重量制限を超えてしまい、野上電鉄には入線できない事態が発覚したとかで、結局全車未入籍のまま解体されてしまったそうです。嗚呼、もったいない!!
悲劇と言うか、間抜けと言うか、これが自爆の設備投資となってしまいました。

 

5.元水間鉄道モハ503 (重根:1991年9月)

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ところで、私はそれまでに水間鉄道をまともに訪問したことがなく、水間鉄道時代のモハ500形を見ずじまいでした。水間を訪問しなかったのは、本家の南海貴志川線に1201形がいたからですが、一度くらいはモハ500形の現役時代に水間を訪問しておけば良かったと後悔しています。ちなみに水間を初訪問したのは昇圧後の1994年でした。これは、昇圧後の主力車である7000形を見るためではなく、水間駅で保存されたクハ553を見るためでした。