ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第217話 1993年一畑:激動の正月輸送(その4)

この日は1993年の元旦でしたが、実は前日は松山に居ました。

この時も学生時代にバイト先で知合った古い電車同好者の友人と一緒で、その友人の会社の同僚の実家に泊めてもらい、12年ぶりの伊予鉄道を訪問していたわけですが、大晦日に松山からフェリーで広島に渡り、広島からバスで出雲市に入りました。

当時、伊予鉄道には元京王の5000系が多量に入線しており、あわや京王伊予線と化していましたが、その元京王5000系がいずれ一畑にも多量にやって来るとは、この時は全くの想定外でした。

 

1.クハ191+デハ91+デハ62 (大寺~美談:1993年1月)

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 この頃一畑は、西武一畑線と化していました。近い将来旧型車は淘汰されると思って撮影に出向いたわけですが、いずれ西武の401系あたりが来るのではないかと思っていました。

 

2.クハ191+デハ91+デハ62 (大寺:1993年1月)

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ところで、写真でもわかりますが主力の80系、90系の汚れがひどい有様でした。しっかり写すと汚れも良く目立ちます。

普段は洗っていないのか?、よごれの目立つ色だからなのか?、それとも、定期検査のタイミングの都合なのでしょうか?。

 

3.クハ183+デハ83 (浜山公園北口~遥堪:1993年1月)

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 80系はただでさえ面白くない車両ですが、汚れるとどうでも良い車両になってしまいます。

 

4.クハ183+デハ83 (布崎~園:1993年1月)

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 いずれ、もしも西武から401系が来たとしたら、この80系と形態的にはほとんど同じ食パン電車です。そうなったら「もう出雲には来ることはないでしょう。」と、当時は思っていました。

 

5.デハ6 (川跡:1993年1月)

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ここは川跡駅出雲大社寄りにあった留置線です。 いつもは大社線の主であるデハ6は、正月三ヶ日は出る幕もなく暇そうに昼寝をしていました。

 

6.デハ6 (川跡:1993年1月)

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 もう1両の相棒であるデハ3は、平田の車庫で寝正月なのでしょうか、見当たりませんでした。

 

7.デハ3 (平田市:1993年1月)

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デハ3はやはり平田市の車庫で昼寝していました。