ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第241話 1993年高松琴平:雨の琴電そして京急増殖

1993年は年間を通して、撮影の度に雨に降られました。とにかく天気が悪かったです。

正直私は"晴れ男"のつもりでしたが、日頃の行いが悪かったのか、この年の撮影はことごとく雨に降られました。

1993年のGWは琴電、野上電鉄、南海貴志川線立山砂防軌道、富山地鉄を回る大撮影旅行を行いましたが、初っ端の琴電から雨でした。

 

1.1062、950、1016 (仏生山:1993年4月)

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 しかし、雨が降っても琴電はパスできません。なぜならば、この頃琴電では元京急1000系が急激に増殖しており、気が付けば琴平線の1020形が窮地に追い込まれていました。このままの調子で 元京急1000系の増備が進めば、1013形やその他琴平線の雑多形式も危うい状況となります。

 

 

2.1013 (仏生山:1993年4月)

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1013形は1983年に三岐鉄道からやって来た車両ですが、1960年代製造の京急1000系とほぼ同期です。もともとカルダン車であったものを琴電で吊掛車に性能ダウンさせてしまったので、冷房付きでカルダン車の京急1000系には敵いません。よって、先が危ぶまれます。

 

3.950+1017 (仏生山:1993年4月)

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5両導入された1013形は、1013形同士でコンビが組めなかった1017が1両余ってしまい、全く生い立ちの異なる制御車の950とコンビを組みました。この編成は普段ラッシュ時にしか走らない 異色の存在でしたが、この編成が一番廃車となる可能性が高いと思われました。しかし、実態はラッシュ時専属が幸いして1997年まで生き延びました。

ところで、写真の950は元国鉄の客車であるオハ35系の台枠を流用して琴電で製造されたゲテモノ車両でした。前面の下部に露出したアンチクライマ―が全てを物語っていました。

 

4.1016+1015 (仏生山:1993年4月)

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1015+1016は強運な車両です。なぜか吊掛車であったものを1987年に再びカルダン車に戻されました。そして京急1000系が増殖するなか、想定通りこの編成は生き延び、本形式では最後まで生き残りました。

 

5.1063 (仏生山:1993年4月)

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1063も三岐鉄道からやって来た車両ですが、この車両だけは両運車で増結用として使用されました。 この車両の先行きも微妙でしたが、吊掛車にもかかわらず、増結車は結構重宝されて生き延びました。

 

6.1062 (仏生山:1993年4月)

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 元阪神ジェットカー一族も1050形、1060形は琴電にて吊掛車にされてしまい、もうジェットカーとは呼べなくなってしまいました。これも年代的には京急1000系とは同年代の車両ですが、先行きが微妙でした。しかし、元阪神車は京急1000系の影響は受けず生き延びました。

 

7.1029+1030 (仏生山:1993年4月)

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 そして、危うかったのが元名鉄3700形だった1020形です。年代的には京急1000系とさほど変わりませんが、この車両は名鉄が旧型車の機器を寄せ集めて応急的に増備したニセ新車グループで、琴電もそれを承知で購入したいきさつがあります。

琴電では旧型車の老朽化が問題となり、一見新しそうで実は古い名鉄の3700形を1969年~1972年にかけて、やむなく16両(8編成)も購入しましたが、やっぱり時期をみて何とかしたかったようでした。

ところで、この1020形は1985年に1029+1030及び1986年に1031+1032がカルダン化されました。琴電はその頃から既存車のカルダン化を始めたようですが、その頃はカルダン車である元京急600系の増備が進められており、1020形のカルダン化はこの2編成だけに留まりました。結局、1020形はカルダン化された2編成のみが生き残りました。