ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第249話 1988年栗原:運ぶものがない!!(その6)

今回は若柳車庫の様子です。

在籍車両は半年前と変わっていませんが、ここに居たはずのED351がなぜか石越に移動していた程度の変化です。

 

1.M181 (若柳:1988年5月)

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 乗客が減少し、大型車の出る幕も減って来ました。このM181は18m車なので、15m車であるM15形に主力の座を譲った様で、日中は昼寝が増えた感じです。

 

2.C152 (若柳:1988年5月)

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 これは増結用クハであるC152(注1)の連妻です。片運車で運転台側の正面はM15形と同じ非貫通2枚窓ですが、運転台の無い連妻面は、側窓と同じようなバス窓が3枚並ぶ非貫通です。連妻面にも尾灯が付いており、機関車牽引を想定していたのでしょうか?

ちなみにこの車両も出番がありません。

(注1)C15形の車歴

・栗原C151←栗原C141←京阪神81:1923年川崎造船製(C151鋼体化:1960年西武所沢工場)

・栗原C152←栗原C142←京阪神86:1923年川崎造船製(C152鋼体化:1961年西武所沢工場)

C15形は1955年改軌時に導入されたC14形を鋼体化(車体延長)した車両で、名義上はその前身である京阪神急行電鉄の80形となっています。C14形は京阪神急行電鉄80形の木造車体と西武の台車をナニワ工機で組合わせて導入されましたが、老朽化の問題からM15形に似たスタイルで鋼体化されました。

 

3.M171+C171 (若柳:1988年5月)

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 M171+C171(注2)は輸送力強化のため1976年に西武鉄道から譲受した2両編成です。導入当初はラッシュ時用だったようですが、輸送力強化どころか輸送需要の減少で余剰となってしまい、1987年に廃車となり若柳のホームで野ざらしとなっていました。この時点、栗原電鉄にはラッシュと言うものがなかったようで、終日単行運用でした。

 

4.C171+M171 (若柳:1988年5月)

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 (注2)M171+C171の車歴

・栗原M171←西武クモハ375←西武クモハ381←国鉄クモハ11435←国鉄モハ50039←国鉄モハ10043:1925年日本車輌

・栗原C171←西武クモハ376←西武クモハ382←国鉄クモハ11477←国鉄モハ50095←国鉄モハ10063:1925年汽車会社製

 

5.C171+M171 (若柳:1988年5月)

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 M171+C171は元々旧型国電でした。この当時同形車が弘南鉄道でも活躍していました。西武から栗原に入線に際し、西武所沢工場で改造が施され、750V降圧化及びC171はクハ化されました。

 

6.木造有蓋貨車の廃車体群 (若柳:1988年5月)

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 かつて栗原電鉄は、鉱石輸送以外に沿線で収穫された米の輸送も盛んに行われていました。若柳にはその名残で、立派な貨物ホームが残っており、構内の外れにはご覧のように以前使用されていた木造有蓋貨車のダルマが倉庫として残存していました。