ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第252話 1988年岩手開発:旅客鉄道だった頃(その2)

盛は、岩手開発鉄道の他に三陸鉄道南リアス線の起点でもありました。

三陸鉄道盛駅はJR盛駅に隣接していますが、岩手開発鉄道盛駅は少し北側に離れていました。

 

1.三陸鉄道キハ36形とキハ301 (盛:1988年8月)

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 JRおよび三陸鉄道盛駅に隣接する広いヤードは、岩手開発鉄道のヤードでした。

このヤードには岩手開発鉄道石灰石輸送列車が待機していましたが、車庫を兼ねており、ご覧のように古めかしいキハ301が留置されていました。

 

2.三陸鉄道キハ36形とキハ301 (盛:1988年8月)

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 写真には左端にJRのキハ28形もかすかに写っていますが、盛は交通の要衝でした。そう言えば、JRがの東日本大震災後にBRT化した大船渡線気仙沼~盛間の、鉄道事業廃止届を正式に国へ提出したと一昨日に報じられました。三陸鉄道は頑張っているのに非常に残念です。

 

3.キハ301 (盛:1988年8月)

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 岩手開発鉄道のもう1両の気動車がキハ301(注1)でした。

この車両は元夕張鉄道のキハ202です。1975年に廃止となった夕張鉄道からキハ201とキハ202の2両が購入されましたが、キハ202の方に健全な機器を集約してキハ301としました。この車両は予備車として導入され、機械式気動車であったため普段はほとんど走りませんが、さすがに道産子だけあって暖房の効きが良いことから冬季に時々使用されたようです。

 

4.キハ301 (盛:1988年8月)

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 (注1)キハ301の車歴

・岩手開発キハ301←北海道炭鉱汽船キハ202←夕張キハ202:1952年新潟鐵工所

 

5.キハ301 (盛:1988年8月)

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 キハ301は見た目、国鉄キハ42000形そっくりですが、まさしくそれを模して新潟鐵工所が製造した機械式気動車でした。そしてこの車両は、夕張鉄道国鉄に先駆けて北海道に導入したディーゼル動車です。

夕張時代に更新を受けており、2ドア化、バス窓化が図られましたが、前面窓は6枚ではなく、最初から4枚窓の卵型流線形で、国鉄キハ42000形とは異なる独特の雰囲気を持っていました。まあ、新潟鐵工所国鉄キハ42000形と差別化を図ろうと、精一杯いじった結果がこれでした。

 

6.DD4341、キハ301 (盛:1988年8月)

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 盛のヤードには、1985年に廃車となった珍しい東洋電機製のディーゼル機関車DD4341(注2)が留置されていました。しかし、実態は重電メーカーの東洋電機でこんなディーゼル機関車を製造するはずもなく、恐らく東洋工機あたりで製造したものと思われます。この写真を見る限り、キハ301も廃車留置のように見えますが、キハ301はまだまだ現役です。

(注2)DD4341の車歴

・岩手開発DD4341:1963年東洋電機製