ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第256話 1986年三菱石炭:3軸ボギーの余韻

今回の三菱石炭鉱業鉄道は2回目の訪問ですが、初回は1986年3月だったので、まだ5カ月しか経っていませんでした。

初回訪問時はまだ真冬で、積雪が多くて列車の走行写真など撮れる状況ではありませんでした。よって、2回目は走行列車の撮影が目的でした。

この当時私は大学4年でした。卒研やら就職活動やら忙しい時期で時間もなく、この撮影のためにバイトで稼いだお金をさらけ出して飛行機で渡道してしまいました。当時の飛行機は早割りなど存在せず、貧乏学生には痛手の出費でした。

(初回訪問時の状況は、第102~103話をご覧下さい。)

 

1.DL-55No.2+セキ・・・ (南大夕張:1986年8月)

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 飛行機はめちゃくちゃ高価でしたが、めちゃくちゃ速かったです。

朝8時前に自宅を出て11時には千歳到着。しかし、千歳から列車の接続が悪く特急で新夕張へ。夕張線の鈍行に乗り換えて清水沢到着は12:38でした。意外にも道内の移動に時間がかかりましたが、あまりにも速く目的地に着いたので、北海道に来た実感がありませんでした。これが、飛行機を利用せず、鉄道と青函連絡船の乗り継ぎだったら丸一日かかります。

 

2.南大夕張駅 (南大夕張:1986年8月)

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 2回目の訪問は、昼だったので三菱石炭鉱業鉄道の旅客列車がない時間帯でしたが、勝手知ったるバスで南大夕張へ直行しました。バスには南大夕張というバス停がなく、最寄りは南部というバス停でした。駅はバス停から少し離れており、しかも駅構内より高台にありました。

 

3.南大夕張駅 (南大夕張:1986年8月)

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 一応撮影許可を得るため南大夕張駅に出向きましたが、待ってましたとばかりに、駅員さんから鉄道グッズの押し売り攻撃に遭いました。しかし私はそんなものには全く興味がなく、とりあえず入場券だけ購入して構内に向かいました。

 

4.南大夕張駅構内、DL-55No.3ほか (南大夕張:1986年8月)

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 構内にはまもなく出発する運炭列車と、その後に走る混合列車がすでにスタンバイしていました。時間があれば運炭列車の走行を撮りたかったのですが、構内を撮影している間に行ってしまいました。

 

5.DL-55No.3+スハニ6+オハ1+セキ・・・ (南大夕張:1986年8月)

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 冬は雪に埋もれていた構内ですが、この日は天気も良く、混合列車も綺麗に撮れました。

 

6.ナハフ1 (南大夕張:1986年8月)

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 ナハフ1も健在でしたが、なぜか陽の当っていない側しか撮っておらず不可解です。