ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第258話 1986年三菱石炭:3軸ボギーの余韻(その3)

この日は、午後の清水沢行き混合列車を撮影しましたが、この列車は1時間ほど後に戻って来るので、次の撮影場所をどうするか悩みました。

しかし、次の列車は機関車側が逆光撮影になってしまい、よい撮影場所がなさそうです。よって、戻りの列車も遠幌近辺で撮影することにしました。

 

1.遠幌駅 (遠幌:1986年8月)

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列車が来るまで時間があったので、ひとまず遠幌駅の待合室で休憩です。この遠幌駅は当然無人駅でしたが、1984年までは有人だったそうです。かつてはこの一帯の拠点だったようで、結構立派な佇まいでした。 

 

2.DL-55No.3+オハ1 +スハニ6 (南大夕張~遠幌:1986年8月)

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結局、戻りの列車は遠幌駅のすぐ南大夕張寄りにある遠幌加別川橋梁で撮影することにしました。この鉄橋はトラスド・ガーダー橋という、よく見ると変わった構造をしていました。

肝心の列車ですが、戻りは混合ではなく、客車2両だけの短編成でした。天気も少し曇ってきたので 逆光とはならず撮影ができました。

 

3.DL-55No.3+オハ1 +スハニ6 (遠幌~南大夕張:1986年8月)

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1日たった3往復の客車列車ですが、踏切近くで通過する列車を見送る母子が写っています。

無意味な後追い写真ですが、3軸台車のジョイント音を残して、スハニ6が通り過ぎて行きました。私にとってはこれが現役のスハニ6を見る最後となりました。

 

4.DL-55No.2+セキ・・・ (清水沢:1986年8月)

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 帰りは、バスで清水沢に戻り、清水沢駅構内で入換をする運炭列車を撮影しました。

つい先日、夕張線が廃止となりましたが、この頃はこの様な運炭列車も走っており、まだ鉄道の需要がありました。

 

 

5.DL-55No.2+セキ・・・ (清水沢:1986年8月)

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 清水沢駅は、三菱石炭鉱業鉄道と国鉄との授受線があり、構内はにぎやかでした。

しかし、この翌年の1987年に三菱石炭鉱業鉄道が廃止となります。その後の清水沢駅は、授受線も撤去され広い空き地が残る無人駅になってしまいました。

 

6.北炭真谷地炭鉱専用線のNo.-01 (沼ノ沢:1986年8月)

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 夕張線の中間にあった沼ノ端にDLが居ました。これは夕張線の車窓から撮ったものです。沼ノ端は北海道炭鉱汽船の真谷地炭鉱専用線が分岐しており、かつてはボールドウィン製の元国鉄8100形や元美唄鉄道のEタンク(国鉄4110形と同形)等のSLが活躍していたことで有名な路線でした。便乗扱いで旅客輸送も行っていましたが、旅客車は1966年に廃止され、以降は貨物専用となり、晩年は味気ない産業タイプの日立製DLが行き来するだけになってしまいました。しかし、この路線も1987年8月に真谷地炭鉱の閉山に伴い廃止されました。

この翌年の1987年には三菱石炭鉱業鉄道、北炭真谷地炭鉱専用線が続けて廃止となり、夕張線から運炭列車が消滅しました。