ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第259話 1989年三井三池:大牟田に潜む記念物級

今回は九州に飛びます。

そう言えば今まで九州ネタがありませんでした。九州は意外にもローカル私鉄が少なく(昔はいっぱいありましたが・・・)、ほとんど足が向きませんでした。しかし、大牟田にはかつての三池鉄道が貨物専業となって営業を続けており、そこには大正時代の舶来品電気機関車など、記念物級の車両がうじゃうじゃと働いていました。

この記念物級の車両を以前から見たかったのですが、これだけのために九州に出向く踏ん切りがつかず足踏み状態でしたが、1989年9月に博多へ出張する機会があり、ちょうど週末がフリーだったので大牟田まで足を延ばしました。

 

1.22t1号機 (三池港:1989年9月)

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 この日は土曜日でした。早朝に西鉄特急に乗り大牟田を目指しました。最初に訪れたのは三池炭鉱の三川坑で、土場で働くナローの機関車を撮影し、そのあと三池港に向かいました。三川坑のナローの様子は別途報告します。

三池港ではいきなりシーメンス製の1号機が出迎えてくれました。

 

2.22t1号機 (三池港:1989年9月)

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 1号機は2軸の凸型22t機で、大変好ましいスタイルをしていますが、ここには、これと同じタイプの機関車が最多で16両(国産模造品含む)も在籍していました。この他にも15t、20t、45tなどの電気機関車がおり、相当な規模の専用鉄道でしたが、専用鉄道なるが故に情報が乏しく、実態は行ってみないとわからない状況でした。

 

3.22t1号機、デ4+22t9号機、ワム (三池港:1989年9月)

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 この日は、初めての訪問だったので、状況把握のため三池港の車庫などを見学させてもらいました。この写真の機関車の後方に写る木造2階建ての建物がこの鉄道の事務所です。ここで撮影許可を頂きましたが、三池港構内は広大な敷地であるため、この場所に辿り着くまでが大変でした。

 

4.22t9号機 (三池港:1989年9月)

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9号機も1号機と全く形態が同じ22t機ですが、こちらは前照灯がオリジナルに近い1灯タイプです。しかし、この車両はシーメンス製を模した国産の模造品です。

 

5.22t9号機 (三池港:1989年9月)

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三井三池鉄道の名称は通称です。この当時の正式名称は、三井石炭鉱業㈱の系列である三井三池港務所専用鉄道という名称でした。開業は三池炭鉱の歴史と密接で、明治時代の1891年には専用鉄道として蒸気動力で運行されたと言われています。

三池鉄道はかつて地方鉄道として、旅客列車も運転するほど地域に密着した鉄道でしたが、地方鉄道時代は1964年から1973年までのわずか10年足らずでした。専用鉄道に戻ってからは、やがて旅客列車もなくなり、要である運炭列車も減ってしまい、この頃は沿線工場の製品や原材料の運搬をなりわいにしていました。

 

6.デ4 (三池港:1989年9月)

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  三池鉱の事務所前に留置されていた車両をよく見ると、9号機と平べったい無蓋貨車の様な車両が連結されていました。この貨車の様な車両はデ4と言う蓄電池車で、9号機に走行用の電力を供給する電源両で、ジャンパー線でしっかりつながれていました。

この専用鉄道は沿線の化学工場の貨物輸送を多く取り扱っていますが、場所によっては爆発の危険性からパンタグラフ集電ができないところがあるため、そのような場所で機関車を走行させるためにバッテリ給電で走行できるようにしたものです。現在は走行用バッテリーも小型化されて車載タイプが開発されていますが、当時は車両の入換に使うだけでも、これだけのバッテリーを必要としました。