ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第267話 1986年上田交通:丸窓最後の春

今回は1986年8月の上田交通の話題です。

はじめに、元上田交通である現在の上田電鉄別所線が、先日の台風19号千曲川橋梁の橋台流出という甚大な災害に遭遇しました。私は35年程前にあの災害現場となった場所で丸窓の撮影をしたことがありました。まさかあの場所があんなふうになってしまったとは絶句です。地方鉄道にとって、災害は致命傷になりかねません。上田電鉄によると復旧には1年かかるとのことですが、なんとか頑張って下さい。

 

さて、その上田電鉄がまだ上田交通だった1986年は、新装開店となる昇圧が秋に実施となり、丸窓など旧型車両がいよいよ引退する年でした。

この年も、春まだ浅い信濃路へ・・・。

どういうわけか、まだ田植えも始まっていないGW前の中途半端な時期に塩田平を目指しました。それだけはやる気持ちがあったのかも知れません。

 

1.モハ5251 (下之郷中塩田:1986年4月)

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 塩田平は微妙な天気でしたが、なんとかまともな撮影ができました。

この日、朝のうちは丸窓が2両運用に入っていました。モハ5251は前面の行き先表示板を付けずに走っていました。ちょうど陽が射してウエダブルーがひときわ映えました。

 

2.モハ5251 (中塩田下之郷:1986年4月)

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 この日は雲が多く、浅間山は拝めませんでした。写真のモハ5251の右後方に写る灰色の工場風の建物は、下之郷に建設中の新しい車庫です。この年の秋には上田交通はDC1500Vに昇圧され、車庫も上田原から下之郷に移転しますが、新しい車庫は昇圧後の車両専用の車庫になるので、丸窓やそのほかの旧型電車は新しい車庫には入れず、上田原の車庫と終焉を迎えます。もうまもなくすると昇圧用の電車がやって来ます。

 

3.モハ5252 (下之郷中塩田:1986年4月)

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 モハ5252は行き先表示を付けてやって来ました。好みの問題ですが、丸窓は行き先表示板を付けた方が似合うと、私は思います。

 

4.モハ5371+クハ252 (中塩田下之郷:1986年4月)

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 そしてこの日は日中に2連となり、モハ5371+クハ252が運用に入りました。クハ252は神中鉄道の元気動車です。上田交通には元気動車だったクハやサハ、そしてモハも多数在籍しましたが、さすがにこの頃にはクハ252だけになってしまいました。

 

5.モハ5371+クハ252 (中塩田下之郷:1986年4月)

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 元小田急ボディーのモハ5371と比較し、クハ252はずいぶんと華奢な感じがします。頑丈な電車に対して戦前の気動車は軽量化が徹底されており、これがひ弱な地方路線でもてはやされる理由でした。

 

6.モハ5252+クハ291 (中塩田下之郷:1986年4月)

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 2連運用となり、モハ5251は入庫しましたが、モハ5252はクハ291を従えて運用を継続しました。しかしながら、このちぐはぐな2両はいつ見ても飽きません。後方のクハ291は元東急5000形です。間もなく昇圧化されると、かつての仲間であった元東急5000形が大挙して上田にやってきますが、結局、クハ291は仲間に入れず、旧型車と運命を共にします。

 

7.クハ252 +モハ5372 (八木沢~別所温泉:1986年4月) 

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 いよいよ曇ってきました。雨が降りそうです。クハ252の顔つきも曇った表情に見えます。