本来、当ブログはローカル線の車両写真が主体なのですが、今回は車両の写真が1枚もありませんので、ご了承ください。
まだ春先なので雑草も少なく、十分に歩けるので、大蒲原からは軌道跡をたどりました。
1.寺田方向を望む大蒲原駅跡 (大蒲原:1987年5月)
この角度から見ると、現役時代の様に見えます。
大蒲原駅は1984年8月に初めて蒲原鉄道を訪問した際に、東加茂から列車の撮影をしながら、飲まず食わずで辿り着いた駅で、大変思い出深い駅でした。
2.高松方向を望む廃線跡 (大蒲原~高松:1987年5月)
この廃線跡はその後どうなったのか確認していません。この撮影をしてからすでに32年が経過しています。現地は過疎化がかなり進んでおり、鉄道を継承した路線バスもなくなったそうです。廃線跡ばかりか、田畑も自然に帰っているかも知れません。
3.大蒲原方向を望む廃線跡 (高松~大蒲原:1987年5月)
ここは1984年の夏に、炎天下のなかモハ12を撮影した場所です。 第31話の写真5の場所です。
かつて撮影の合間にザリガニ釣りをした溜池は健在でしたが、現在はどうなっているかわかりません。
4.高松方向を望む廃線跡 (大蒲原~高松:1987年5月)
ここは大蒲原と高松間にある緩い峠です。半分くらい枕木が撤去されたまま放置されていました。
5.大蒲原方向を望む廃線跡 (高松~大蒲原:1987年5月)
峠から大蒲原の方向を振り向くと、辺りは田園地帯です。平野部ではすでに田植えも終わっていますが、この辺りはこれから田植えが始まるところでした。
6.土倉方向を望む高松駅跡 (高松:1987年5月)
峠を抜けると高松です。ホームだけが残っていました。この先民家はありませんが、この写真の左手には金割鉱泉という小さな温泉宿が1軒ありました。
7.金割鉱泉から廃線跡を望む (土倉~高松:1987年5月)
この日は、高松にあった金割鉱泉で食事をし、鉱泉に浸かって一服しました。
金割鉱泉では地元の山菜料理と、この近辺で養殖されている鯉料理を頂きましたが、山菜はこの辺りに無尽蔵に生えているそうで、多量にサービスしてもらいました。「たらの芽」の天ぷらが美味しかったので、いっぱい食べましたが、東京では希少でお高い食材です。
ところで、現在は金割鉱泉も店じまいしてしまったそうです。