ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第276話 1987年蒲原:廃線跡を歩く(その3)

金割鉱泉で休憩して、再び廃線跡をたどりました。

実は、この時が初めての廃線巡りでした。加茂まで残り10km程の道のりでしたが、陽気もさわやかでハイキング気分でした。たまには思い出に浸りながら、こんな廃線巡りも良いものです。

 

1.高松方向を望む廃線跡 (土倉~高松:1987年5月)

f:id:kk-kiyo:20190714165143j:plain

この写真は歩いてきた軌道跡を振り向いて、高松方向を撮ったものです。1984年の撮影では雑草が生い茂っていた区間です。軌道敷の右側に写る小高い丘はこの区間の撮影のお立ち台でした。

 この場所の手前に小さな集落があり、まもなく土倉です。

 

2.高松方向を望む廃線跡 (土倉~高松:1987年5月)

f:id:kk-kiyo:20190714165210j:plain

 この写真は土倉駅跡に残っていたホームから高松方向を撮影したものです。1987年8月の訪問時に撮影した、第31話の写真1と同じ場所です。

今でも暑かった記憶が蘇ります。

 

3.高松方向を望む土倉駅跡 (土倉:1987年5月)

f:id:kk-kiyo:20190714165232j:plain

 土倉駅跡にはホームが残っていましたが、そのすぐそばを新しい道路が横断し、築堤が無残に切り欠かれていました。1984年8月の訪問時に、暑さに耐えきれず仮眠をしたホーム上の小屋はなくなっていましたが、この駅を象徴する線路脇の大きな杉の木は健在でした。

 

4.冬鳥越方向を望む廃線跡 (土倉~冬鳥越:1987年5月)

f:id:kk-kiyo:20190714165250j:plain

 土倉駅跡のホームから冬鳥越方向を見るとこんな感じでした。道路をオーバーパスしていた橋梁は、築堤ごと撤去されていました。土倉から先は山間部に入り民家もありませんが、廃線跡に平行する道路は2車線に拡幅されて立派になっていました。

 

5.土倉方向を望む冬鳥越隧道跡 (冬鳥越~土倉:1987年5月)

f:id:kk-kiyo:20190727165452j:plain

 冬鳥越隧道が残っていましたが、並行して立派な道路が完備されたので無用の長物と化していました。

 

6.七谷駅跡 (七谷:1987年5月)

f:id:kk-kiyo:20190714165307j:plain

 山間部の途中に七谷駅がありました。ここもホームと駅舎が残っていました。この七谷は交換駅でした。部分廃止の日にここで交換列車を撮影しましたが、冬は大変雪深いところです。

 

7.冬鳥越方向を望む七谷駅跡  (七谷:1987年5月)

f:id:kk-kiyo:20190727165725j:plain

 七谷を過ぎると、加茂川沿いに出ますが、この先もしばらくは民家がありませんでした。

ところで、私は廃線巡りのプロではありませんが、廃線巡りをするなら、廃止からそれほど年月が経っていない5年以内程度が良いのではないかと思います。廃線跡は概ね、自然に帰ってしまうか、再開発で跡形もなくなってしまうかのどちらかです。自然に帰ってしまうと危険ですし、再開発されると別な場所の様になってしまい、かつての面影を探ることもできません。そうならない、まだ面影が残っているうちが良いと思います。それから、廃線跡は土地が売買されて私有地になっていることも多々あります。立入り禁止の場所に注意が必要ですし、遺構なども資産管理されている場合があるので、勝手に立ち入ったり、壊したり、持って帰ってはいけません。