ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第278話 1985年国鉄(北海道):最果ての夏

私は国鉄の車両にはほとんど興味がありませんでしたが、今回は最果てである北海道の国鉄ローカル線の話題です。

1985年の夏は高校時代の同級生と北海道を1周しました。ただし、この旅行は鉄道写真を撮ることが目的ではなく、いわゆるミーハー旅行でした。

この当時はまだ北海道には多くの国鉄路線があり、当然国鉄の北海道ワイド周遊券をフル活用しました。よって、ミーハー旅行ではありますが、なんだかんだ国鉄のローカル線利用が多く、意識もしていませんでしたが、この旅行で北海道のほとんどの路線を制覇していました。

 

1.キハ22116+キハ22形 (上更別:1985年8月)

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 この旅行では、鉄道に興味の無い同行者と一緒だったので、出来るだけ趣味に走らないように心がけていましたが、なかなか抑えきれず、こんな写真を何カットか撮っていました。

 

2.キハ22331+キハ40形100番代 (上更別:1985年8月)

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 1~3の写真は、今は亡き広尾線の上更別です。

記憶が曖昧ですが、たしかこの日は苫小牧から日高本線に乗り、襟裳岬をまわって広尾からこのキハ22331に乗って来ました。上更別で列車交換があり少々停車時間があったので、これらの写真を撮ったものと思われます。

 

3.キハ22331+キハ40形100番代 (上更別:1985年8月)

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 上更別は、広大な牧草地にある北海道らしい広々とした駅でした。

当時北海道の気動車は、大半がキハ22形とキハ40形100番代で、すべてタラコ色でした。正直、何色であれ私は国鉄車両には全く興味がありませんでしたが、やはり北海道特有の雰囲気に撮影を促されたようです。

 

4.1978年当時の道東の路線図 (JTB時刻表1978年10月号から引用)

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上図のごとく、この頃の北海道には多数の国鉄路線が存在しましたが、このほとんどが赤字ローカル線として廃止の運命にありました。 

 

5.キハ22267+キハ22形、キハ40122 (根室標津:1985年8月)

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 この写真は、日が変わって標津線の終点根室標津です。

根室標津はまさに最果ての駅でした。ここから野付半島のトドワラへバスで向かいましたが、その光景はまさに日本の最果てでした。

 

6.キハ40105他 (中湧別:1985年8月)

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 さらに日が変わり、この写真は、名寄本線の中湧別です。

1985年の旅行では、鉄道写真の撮影がメインではなかったので、この様な断片的な写真しか撮っていませんでした。この時車窓から見た風景が忘れられず、改めて翌年に撮影旅行を挙行しました。