ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第279話 1986年国鉄(北海道):最果ての夏(その2)

学生最後の夏休みとなった1986年8月も北海道を訪れました。

一番の目的は、三菱石炭鉱業鉄道の混合列車を撮影することでしたが、前年夏の北海道旅行で印象深かった最果ての路線を再訪問することも目的でした。

 

1.キハ22形 (上士幌~萩ケ岡:1986年8月)

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 まずは、士幌線です。ここはテンサイ畑でした。

この路線は十勝地方独特の広大な畑作地帯を縦貫していました。列車に乗っていて結構絵になる風景だったので出向きましたが、あいにくの雨。いきなり大失敗でした。

 

2.キハ22276 (上士幌:1986年8月)

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 この士幌線は、本来終点が十勝三股というところでした。しかし、過疎化が激しく当時は終点の二つ手前の糠平までしか列車は走っておらず、その先は代行バスでした。そして、この路線も赤字の廃止対象路線でした。

 

3.キハ22276 (上士幌:1986年8月)

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午前中は上士幌近辺で撮影をしましたが、天気は全く回復しないので帯広へ戻ることにしました。結局、士幌線は全線乗車していません。今思えば、このあと帯広には戻らずに十勝三股まで行っておけばよかったです。

 

4.キハ22306 (中頓別:1986年8月)

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 続いて、日が変わって天北線です。

天北線は昼行の客車急行天北号も走る全長149.8kmの長大ローカル線でした。しかし、超ローカル線で、なぜ急行が走っていたのか理解できません。案の定、廃止対象路線でした。

この日は、昨晩札幌から乗車した"急行利尻号”を夜中に音威子府で下車し、始発の天北線で下頓別に向かいました。そして、下頓別から中頓別まで歩いて戻りながらの撮影を行いました。

しかしながら、この日も天気がいまひとつパッとしませんでした。

 

5.キハ22264 (下頓別:1986年8月)

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下頓別には朝の5時過ぎに到着しました。

下頓別では普段こんな時間に乗る人も降りる人もいないのでしょう。駅に到着しても列車のドアも開きませんでした。ちょうど車両の後部デッキにいたので、車掌室をたたいて降ろしてもらいました。

下頓別は悲しいほどなにもないところでした。これでは列車のドアが開かなくても仕方ありませんというか、通過されなかっただけでもましでした。

ところで、下頓別で下車した理由は、北海道らしい風景で撮影をしたかったからですが、中頓別~下頓別間にある牧場で、もしかしたら乳牛と列車の組合せを撮影できると思ったからです。

天気が悪いとはいえ、降りてしまったからには行くしかありません。

 

6.臨貨 (中頓別:1986年8月)

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天北線では、臨時の貨物が走っていました。貨物といっても保線用のバラスト輸送ですが、この頃はまだ貨物列車には緩急車が連結されていました。