ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第282話 1986年国鉄(北海道):最果ての夏(その5)

道東の夏は清々しく、大陸的な光景がつまらない車両を引き立てます。

しかし、広大なスケールを写真でお伝えすることは非常に難しいです。

 

1.キハ246 (上武佐~中標津:1986年8月)

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標津線には、キハ22形とキハ40形100番代しかいないと思っていたら、なんとキハ24形がやって来ました。

キハ24形は10両しか製造されなかった中途半端にレアな車両ですが、この車両がまさかこんなところにいたとは思いませんでした。ささやかな収穫でした。

この車両は1967年日本車輌製で、キハ22形の後釜として寒冷地向けに製造された車両ですが、中途半端なままキハ40形100番代にその座を譲りました。この当時、釧路地区に2両だけ配置されていたようですが、その後も道内を転々とし、1993年に廃車されました。

 

2.上武佐駅 (上武佐:1986年8月)

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 上武佐駅はこの辺りではよく見かける木造の駅舎を構えていました。駅の周りは防雪林に囲まれており、ちょっと分かり辛い場所にありました。

 

3.キハ22134+キハ22形 (上武佐~川北:1986年8月)

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 上武佐駅は延々と続く直線の真ん中に位置しました。意外とアップダウンが多く、開けた場所がないのが難点でした。この写真は上武佐駅から川北方面に少し歩いた場所です。線路は両側を防雪林に覆われていますが、その外側は広大な牧草地帯でした。

 

4.キハ22134+キハ22形 (上武佐~川北:1986年8月)

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 上武佐駅のすぐ川北寄りにはジャガイモ畑があり、ちょうどジャガイモの花が満開でした。傾斜地の畑なので、列車が隠れてしまいそうです。

 

5.キハ22318+キハ40形100番代 (上武佐~川北:1986年8月)

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 上武佐駅のホームから川北方向を撮った写真です。列車の後方には直線が延々と続き、先が見えないくらい続いていました。

 

6.キハ40形100番代 (中標津~上武佐:1986年8月)

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 この写真は、上武佐駅から中標津方面に少し歩いたところにあるケネヤウシュベツ川と言う舌を噛みそうな名前の川の河原から、別海岳をバックに撮影したものです。写っている列車がキハ40形100番代なのが「玉に瑕」です。

 

7.キハ22形2連 (上武佐:1986年8月)

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 上武佐駅に停車中のキハ22形2連です。

この頃の標津線標茶中標津間が幹線で、中標津根室標津と中標津厚床間は支線的な存在でした。

しかし、中標津根室標津間の列車は、ほとんどが標茶からの直通運転で、その中には釧路から来る列車や、"急行列車くずれ”などもありました。

”急行列車くずれ”は、釧路~網走間の”急行しれとこ号”に連結された2両が標茶で連結開放されるものです。以前は標津線内も急行運転されていましたが、1986年時点では標津線内は各停となっていました。ところが、使用された車両はキハ22形だったので、釧路~標茶間の急行にタラコ色のキハ22形が連結されて急行料金を徴収していたので、キハ22形に乗車して標津方面へ向かう時は、なんとなく損をしたような感じが否めませんでした。