ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第283話 1986年国鉄(北海道):最果ての夏(その6)

標津線には中標津厚床間の枝線が存在しました。

しかし、この区間は1日たった4往復の列車しか走っておらず、乗るにも不便で近寄り難い路線でした。ところで、この路線はかつて奥行臼から別海村営軌道風連線が接続していた時期があり、その遺構を求めて、上武佐で撮影を終えた後に奥行臼を目指しました。

 

1.キハ22形 (中標津~上武佐:1986年8月)

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 上武佐駅の少し中標津寄りには開けた牧草地がありました。すでに牧草は刈り取られていたので一面平原で、絶好の撮影場所でした。

 

2.キハ22形2連 (中標津~上武佐:1986年8月)

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この日は大変さわやかな日でした。雲の感じがいかにも北海道です。

少し離れた場所からキハ22形の2連を狙ってみました。

 

3.キハ22形2連 (中標津~上武佐:1986年8月)

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 同じ場所から同じ列車を連写しました。バックは別海岳です。

 

4.奥行臼駅 (奥行臼:1986年8月)

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 この日の午後は、中標津から1日4往復しかない列車に乗り、奥行臼に辿りつきました。

この駅も、なんともノスタルジックな駅舎で、上武佐駅とよく似た駅舎でした。そしてこの駅も有人駅でした。

 

5.奥行臼駅 (奥行臼:1986年8月)

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 奥行臼の駅前は何もなく、ただの空き地でしたが、ここにはかつて別海村営軌道風連線の線路が敷かれていました。駅員さんに風連線の遺構を尋ねると、すぐ近くに車庫の跡地があり、そこに何かが残っているかも知れないとの情報をもらい、早速行ってみました。そこはかつて風連線の車庫と事務所があった場所でしたが、すでにさら地になっており、草むらの中に唯一転車台の基礎が残っていました。廃線跡も確認できましたが、その先は牧場の敷地になっていたので散策はやめて奥行臼駅に戻り、こんどは保存車両について尋ねたところ、別海に行けば保存車両があるとのことで、次の列車で別海に向かいました。

※当時、別海村営軌道の保存車両は、別海駅前に展示されていました。現在は奥行臼の別海村営軌道の車庫跡に移設されて保存されています。

 

6.キハ40199 (奥行臼:1986年8月)

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 奥行臼からキハ40199に乗り別海を目指しました。しかし、この路線にキハ40形は過剰投資です。国鉄の路線なので全国平等に新車が割り当てられたものと思いますが、だれも乗っていませんでした。別海町は人口よりも牛の頭数の方がはるかに多いところです。この区間標津線の一部なので、あまり表向きにはならなかったと思いますが、どう見ても存在理由が見当たりません。当然廃止対象路線ですが、廃止はJRになってからでした。

1986年の夏の北海道の話題は以上ですが、この翌年の夏もまた北海道を訪れます。それだけこの地に魅力を感じていたのかも知れません。

ところで、別海村営軌道の保存車については、改めて報告します。