鉱山坑口の高台から津軽海峡をバックに鉱石列車を撮影しました。
この日の津軽海峡は大変穏やかでした。
1.№3空車列車 (坑口付近:1988年5月)
電線が邪魔ですが、ここはいったいどこなのか?と思うような写真です。
2.№2積車列車 (坑口付近:1988年5月)
坑口の近くには踏切もありました。尻屋崎行の路線バスもこの踏切を通ります。踏切はかなり高頻度で作動していましたが、交通量がたいしたことないため、全く問題はありません。
3.№3空車列車 (坑口付近:1988年5月)
手前に坑口の上部アーチが写っていますが、坑口には複線が入っており、坑道の中で複数のループ線が分岐していました。
4.№3空車列車 (坑口付近:1988年5月)
坑口周辺の全景です。鉱山に向かう列車がオモチャのようです。
5.№6 (鉱務事務所前:1988年5月)
昼休みに写した6号機です。津久見からやって来た5号と6号機は他のニチユ製機関車より若干ボンネットの高さが低く、その分キャブが飛び出しており、わずかにL型をしています。津久見時代は軌間が610㎜でしたが、762㎜に改軌しても全く違和感はありませんでした。そして、津久見の2両はフロント面に日鉄のマークが誇らしげに付いていました。
6.№1 (鉱務事務所前:1988年5月)
午後3時頃にも休憩時間がありました。ここでまた機関車の形式写真が落ちついて撮れました。今回撮影した機関車は、製造メーカーが全てニチユでした。みな同じような機関車ですが、導入された時期により、Rが付いたものや角ばったものなど、微妙にスタイルが異なります。特にこの1号機は一番最初に導入された15t機で、ボンネットのコーナーの丸味に時代を感じるデザインでした。
7.№3 (鉱務事務所前:1988年5月)
(日鉄尻屋鉱業所の機関車の車歴)
・日鉄尻屋№1:1963年日本輸送機製
・日鉄尻屋№2:1967年日本輸送機製
・日鉄尻屋№3:1968年日本輸送機製
・日鉄尻屋№4:1975年協三工業製
・日鉄尻屋№5←日鉄津久見(下部)№6:1967年日本輸送機製
・日鉄尻屋№6←日鉄津久見(下部)№5:1967年日本輸送機製
4号機だけは、協三工業製で形態も少し変わっていましたが、この日は車庫内に入っており撮影ができませんでした。