ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第289話 1988年日鉄尻屋:断崖の鉱山軌道(その6)

この日は選鉱場と坑口間を何度も往復しましたが、夕方になり、そろそろ帰りの時間が近づいてきました。

帰りのバスに乗り遅れると大変なことになるので、そろそろ撤収です。帰りは、選鉱場から坑口方向に歩きながら撮影し、鉱務事務所近くのバス停からバスに乗りました。

 

1.№2空車列車 (鉱業所付近:1988年5月)

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 再び陸橋から2号機を撮影しました。この陸橋は元々は踏切だったそうですが、尻屋漁港へ通じる道路だったので、港湾整備の一環で陸橋化されたとのことです。列車撮影にはちょうど良いお立ち台でした。

 

2.№3積車列車 (鉱業所付近:1988年5月)

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選鉱場付近から崖縁を行く列車を撮影しました。鉱車18両を連結した鉱石列車は壮観でした。

 

3.№3積車列車 (選鉱場:1988年5月)

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 選鉱場へ入場する積車列車です。列車は最徐行で前方の建物に進入し、1両ずつ鉱車の鉱石を降ろして行きます。

 

4.№3空車列車 (鉱業所付近:1988年5月)

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逆光の津軽海峡をバックに、ドレンを吐いて力行する列車のシルエットがが幻想的でした。 

 

5.№6空車列車 (鉱務事務所前:1988年5月)

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 6号機の牽く空車列車がタンポポ満開の軌道をやって来ました。 6号機は5号機と共に大分県津久見鉱業所下部軌道から転籍してきた車両です。津久見の下部軌道は鉱山から港まで住宅街を走行するため、騒音対策で防音壁に囲まれた軌道を走行していたので、まともな撮影地もない様な路線でしたが、尻屋は一転して風光明媚な路線で、6号機もイキイキと活躍している様に見えました。

 

6.給油中の№2空車列車 (鉱務事務所前:1988年5月)

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 鉱務事務所前の本線脇に給油設備があり、機関車はここで適宜給油をしていました。ちょうど給油中の2号機を撮影できました。

 

7.午後3時の休憩中の№2と鉱車 (鉱務事務所前:1988年5月)

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 午後3時の休憩となり、列車は鉱務事務所前に集結です。

もう少しここに居たかったのですが、そろそろ帰りのバスの時間となり、ここで撤収です。

 

8.参考文献:「地理 Vol.43,1998」古今書院

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さて、今回の投稿の参考文献をご紹介します。この文献は、古今書院発行の月刊誌「地理」の1998年10月号ですが、この中に日鉄尻屋鉱業所運鉱線に関する「鉱山鉄道と運搬坑道の実際」というレポートが掲載されています。このレポートは、鉄道史研究会会員でいらっしゃる石川浩稔さんという方の執筆によるもので、この軌道が廃止された後にまとめられたものですが、その内容はなかなかオープンにならない鉱山軌道の沿革から在籍した車両の実態、路線図の変遷に至るまでかなりディープで貴重なものです。現状、国内における鉱山軌道は壊滅状態ですが、すでに廃止となった軌道であっても、このようなレポートを今後も期待したいところです。

 

9.日鉄尻屋鉱業所運鉱線路線図:「地理 Vol.43,1998」古今書院より抜粋

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最後になりますが、石川浩稔さんのレポートに掲載されていた、日鉄尻屋鉱業所運鉱線路線図を転載させて頂きました。上図にも記載ありますように、この路線図はこの軌道の最盛期だった1981年頃のものですが、廃止となる1994年まで変わっていないようです。なお、私が現地を訪れた1988年5月時点では、第1選鉱場側ループの手前に記載された踏切が立体交差になっていました。ところで、この路線図のすばらしいところは、坑道内の路線も記載されていることです。国土地理院や市販の地形図には絶対に描かれない実態がはっきりわかります。

 

1989年当時、この軌道はまだまだ安泰と思われましたが、さらなる輸送力増強と合理化のため、ベルトコンベア化されて1994年に廃止されました。もう1回くらい、季節を変えて訪問したかったのですが残念です。現在尻屋鉱業所は、軌道はなくなりましたが盛業中です。そして、機関車と鉱車が1両づつ保存されています。