ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第290話 1989年三岐:本業はセメント輸送?

昔から三重県には多くの鉄道が存在しました。その中でも伊勢湾に面した地域には紀勢本線近鉄名古屋線などの大動脈やそれらを起点とするローカル線がいたるところから出ていました。特にこの地域は多くの小規模な軽便鉄道が発生し、それらは戦時下の統制で三重交通に集約され、さらに大近鉄の一員となり現在に至ります。

ところが、その例外だったのが三岐鉄道です。三重交通にも大近鉄にも関わらず、独自の道を歩み、近年は大近鉄が放り出した北勢線を受け入れたほど懐の深い鉄道です。

今回はこの不思議な存在である三岐鉄道を初めて訪問した、1989年の話題です。

 

1.ED455,ED452他 (東藤原:1989年1月)

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 今回の三岐鉄道訪問は、お隣の近鉄北勢線訪問のついでというのが実態でした。この日は天気も悪く、近鉄北勢線もさんざんな状況だったので、早々に引き上げて三岐鉄道を見に行きました。

 

2.ED455 (東藤原:1989年1月)

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 この頃の三岐鉄道には興味をそそる様な電車はいませんでしたが、この鉄道には本業と言っても過言ではないほどの貨物列車が運行されており、貨物と言ってもセメント輸送ですが、地方鉄道らしからぬ電気機関車が多数在籍していました。

まずは、この電気機関車です。

 

3.ED451 (東藤原:1989年1月)

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 正月早々なので、セメント工場も休みだったのか、セメント工場のヤードには電機機関車が集結していました。当時三岐鉄道には電気機関車が9両もいました。その任務はセメント輸送ですが、東の秩父鉄道と似たような存在でした。

9両の機関車は、富田駅の入換用だったED301が凸型30t機だった以外は全てデッキ付きの箱型45t機で、自社発注のED451~453,456,457、富山地鉄から移籍のED454,456と東武鉄道から移籍のED5001の内訳でした。

 

4.ED451 (東藤原:1989年1月)

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 ED45形(注1)は丸みのある車体が特徴の東洋電機製ですが、1960年に富山地鉄から譲受した、ED454,455及びその後増備されたED456,457は裾のRが付いていません。そして、なぜか最終増備のED457だけが西武所沢製でした。

(注1)ED45形の車歴

・三岐ED451~453:1954年東洋電機製

・三岐ED454,455←富山地鉄デキ19041,19042:1957年東洋電機製

・三岐ED456:1962年東洋電機製

・三岐ED457:1973年西武所沢製

富山地鉄から譲受した、ED454,455は有峰ダムの建設輸送用に製造された機関車でしたが、当初からダム完成後は三岐へ転籍する前提だったそうで、右側運転台など三岐仕様で設計されました。

 

5.モハ151+クハ216 (保々:1989年1月)

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 続いて電車ですが、三岐鉄道は元々非電化でした。1954年に電化されて1956年から電車の運行が開始されました。電化当初は中古電車の寄せ集めでしたが、その後は大手私鉄並みのカルダン車を新製するほどの力の入れ様でした。ところが、なぜかその頃のカルダン車は琴電に売り飛ばされてしまい、1989年当時は、代わって西武鉄道から20m車が導入され、趣味的には面白くない鉄道になりつつありました。

しかし、この当時はまだ辛うじての個性的な車両が残っていました。

例えば、モハ150形(注2)ですが、この一見新車の様な車両は、車体こそ新造ですが、臓物は西武鉄道の戦災復旧車である311系からの発生品を再利用した新車モドキです。かつて新車のカルダン車を自社発注していた会社がこんな新車モドキを導入するとはどういうことなのか?しかもこの車両は両運車で、増結用の相棒であるクハ210形は元小田急の2100系そのまんまでした。

 

6.モハ150 (保々:1989年1月)

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 (注2)モハ150形の車歴

・三岐モハ150:1972年西武所沢製

・三岐モハ151:1973年西武所沢製

しかし、この新車モドキは2両で打ち止めとなりますが、この後もモハ150形はかたちを変えて増備されました。