1987年3月はいよいよ筑波鉄道が廃止となります。そして私自身も大学を卒業となり、就職したらもう暇はないだろうと、就職ギリギリまで筑波通いをしました。
今回は廃止を間近に控えた筑波鉄道の話題です。
1.キハ763、キハ505+キハ504 (常陸藤沢:1987年3月)
この 3月はバイト先で知合った友人と、3日間かけて常磐線沿線の私鉄早回りを行いました。その時の状況は、すでに一部報告済みですが、メインは " 筑波鉄道の最後の日々 ” を撮影するためでした。
2.キハ763 (坂田~虫掛:1987年3月)
少々天気が曇りがちでしたが、車で常磐道を降りて先ずは沿線で走行撮影です。ここは、常磐道と筑波鉄道が交差する近辺で、写真の後方に写る築堤が常磐道です。 最初にやって来たのは、道産子キハ763の単行でした。
3.キハ301+キハ761 (常陸北条~筑波:1987年3月)
そして、場所を筑波に移動してキハ301+キハ761の2連がやって来ました。なんでも連結できる気動車なので、こういう凸凹編成が愉快です。
キハ301は国鉄キハ30形の払い下げ第1号車でした。筑波鉄道には1986年7月に事故廃車となったキハ812の穴埋めとして導入されたばかりですが、1964年製ということで、筑波では若い車両でした。筑波廃止後はたった1両のみ常総線に転じます。その後常総線には大量の国鉄キハ35系が譲渡され、このキハ301は一挙に仲間が増えました。
4.キハ761+キハ301 (筑波~常陸北条:1987年3月)
一方、キハ761は北海道の雄別炭鉱から転じて来た車両です。1957年製で、当時はそれほど古くない車両でしたが、廃止後は譲渡先もなく、筑波鉄道と運命を共にします。
5.キハ762 (常陸北条~筑波:1987年3月)
お馴染みの筑波山をバックにやって来たのはキハ762です。
やはり筑波に来ると、どうしても筑波山をバックに撮影してしまいます。しかし、この日の筑波山は天気が悪いせいかスッキリしません。
6.キハ811 (常陸北条~筑波:1987年3月)
今度は少し角度を変えて筑波山を入れて見ました。この時は廃止も近いと言うことで、いつもの様な車両主体ではなく風景主体の撮影を試みました。ちょっと車両が小さ過ぎた感じですが、筑波鉄道がこんなところを走っていたことがよくわかります。
7.キハ811 (常陸北条~筑波:1987年3月)
近づいて来た車両を連写すると、これも道産子のキハ811でした。この日は元雄別鉄道の車両が全て運用に入っていました。