路線廃止まであと半月でしたが、真鍋機関区では現役車両はいつもと変わらず、坦々と整備されていました。
1.キハ503 (真鍋:1987年3月)
キハ500形は、廃止後もどこかで生き延びるだろうと思っていましたが、結局は他の車両同様に廃車解体されました。
2.キハ504 (真鍋:1987年3月)
この頃、関東鉄道常総線では老朽化した車両の取替に悩んでいた時期で、筑波鉄道の廃止後に筑波のキハ500形を常総線に引き取る動きがありました。しかし、再起しなかった理由は、おそらく通勤路線の常総線では、18m2扉車をもらってもどうしようもなかったからだと思います。実際、廃止後筑波から常総線に転じて再起したのは、通勤車仕様のキハ301だけでした。
3.キハ462 (真鍋:1987年3月)
キハ462は保存が決まっていました。よって、これ以上朽ちないようにタッチアップ塗装がなされていました。この車両は元国鉄キハ41000形でしたが、筑波のキハ462は比較的原型を留めていたことが保存の決め手になったと思います。一時は全国各地に放出された元国鉄キハ41000形ですが、この時点で車籍があったのは、気動車として残っていた片上鉄道キハ303と、電車化された新潟交通クハ37、蒲原鉄道クハ10くらいでした。いずれも改造により原型を留めていませんでした。
4.真鍋機関区全景 キハ462、キハ511、キハ761他 (真鍋:1987年3月)
出身の異なる強者が集う真鍋機関区でしたが、この光景を見られるのもあと半月でした。
5.キハ761 (真鍋:1987年3月)
改めて、元雄別のキハ760形です。
これら北海道の炭鉱鉄道からやって来た車両は関東鉄道にとっては、まさに救世主だったと思います。車齢も比較的新しく、ベースが国鉄の気動車仕様だったので、入線にあたり特に改造も必要なく、なんら問題もなく旧型気動車に置き替わりました。
6.キハ762 (真鍋:1987年3月)
そういう意味では、見た目はつまらない車両ですが、非電化ローカル私鉄にとって功績の大きい車両ではなかったかと思います。