今回は1987年の上信電鉄です。
前回の訪問から3年後となりますが、辛うじて残っていたデキが牽引する貨物列車が見たくて、会社の研修先である長岡からGWで実家に帰る途中に高崎で途中下車をしました。
1.デキ1 (高崎:1987年5月)
この日はあいにくの雨でした。しかし貨物列車は平日しか走らず、この日がGWの谷間の5月1日で平日であったことから、雨ですが仕方なく下仁田を目指しました。
2.デキ1 (下仁田:1987年5月)
下仁田にはデキ1がいました。とりあえずこの日は貨物が走ることを確認できました。
しかし、雨が本降りです。この貨物列車をどこで撮影するか悩ましい状況でした。
3.デキ2 (高崎:1987年5月)
上信電鉄には、貨物牽引用の電気機関車が4両在籍していました。そのうちの3両は電化開業時にドイツのシーメンス社から輸入した1924年製の舶来機でした。
シーメンス社といえば、九州の三池炭鉱にも小型の凸型20tクラスの電気機関車が活躍していましたが、国内にはさほど導入された実績はなく、それ以外は非常にマイナーな国鉄ED57(→国鉄ED24)の2両と名鉄デキ1くらいです。
4.デキ2 (高崎:1987年5月)
上信のデキはB-Bボギーの凸型34.5t機で、ボンネットのサイド扉が非対称(点検扉が片側しか付いていない)が特徴です。
なぜか、2号機のみボンネットのサイド扉が逆というか、車両の向きが違います。
5.デキ3 (高崎:1987年5月)
このデキ1~3は下仁田~高崎間の石灰製品を輸送するため、平日に1往復の貨物が設定されていましたが、貨物量によっては重連運転となったり、走らない日もありました。
6.ED316 (高崎:1987年5月)
ED31は地味に南高崎~高崎間のセメント輸送に従事していました。
この車両だけは、シーメンス製のデキ1~3とは形態も生い立ちも異なり、その生い立ちは1923年石川島造船所・芝浦製作所製の元伊那電鉄デキ6です。その後国鉄に買収されてED316となり、1957年に上信にやって来ました。当初は凸型をしていましたが、上信に導入されてから、不思議な箱型に改造されました。元々は装甲車のような武骨な凸型機でしたが、近江鉄道のED31形とは兄弟機で、このED316は一番末っ子です。
ED316はデキに比べて非常に地味な存在でしたが、製造はデキよりも1年早く、国産電機黎明期の製品で、これも貴重な1両でした。この頃は電車と同じローズピンクに塗装されていましたが、晩年は焦げ茶色1色となり、さらに目立たない車両になってしまいました。