この頃鹿島鉄道にとって一番のお客様は沿線住民ではなく、自衛隊百里基地でした。
お隣の筑波鉄道がまもなく店じまいとなる時期、鹿島鉄道は百里基地のジェット燃料輸送のおかげで、筑波の廃止など "どこ吹く風” でした。
1.石岡機関区事務所 (石岡:1987年1月)
石岡機関区の撮影時に、いつもお世話になった事務所です。急な階段を上った2階で記載する来訪者の帳簿には、著名人のお名前が散見されました。
2.DD13171 (石岡:1987年1月)
鹿島ではジェット燃料輸送増強のため、国鉄からDD13を購入し、1986年1月から車号もそのままでDD13171(注1)として運用を開始しました。そして、この後さらにDD13をもう1両JRから購入します。しかし、先輩で同型のDD902ともども、総括制御ができない難点があり、重連運転時にはそれぞれ運転士さんが乗務していました。
3.DD13171 (石岡:1987年2月)
この機関車の導入でDD901が予備車となってしまいました。
(注1)DD13171の車歴
・鹿島DD13171←国鉄DD13171:1963年汽車会社製
4.キハ432、キハ712 (石岡:1987年1月)
そして、いつもの湘南型気動車に異変が・・・・
運用から戻って来たキハ432がちょっと変です。気のせいかと思いましたが、やはり変です。
5.キハ432 (石岡:1987年1月)
実は、キハ432と431は車体外板の更新を行っていました。その結果、車体は新車同然のツルツルピカピカに生まれ変わりましたが、前面窓が小さくなり、気難しい顔の湘南顔となりました。しかし、湘南顔を維持して頂けただけでも良かったと思わなければなりません。
6.キハ432の車内 (石岡:1987年1月)
キハ432は、車内も外板更新のついでに内張をデコラ調のものに張り替えてリフレッシュしました。しかしながら床は木製のままなのがご愛嬌です。そして、この改造に併せてワンマン化も行われました。車端の車内ミラーがワンマン化を物語っています。