青空は望めませんが、少し晴れ間が出てきました。
この日の貨物列車は霞ヶ浦沿いで撮影することにしました。
1.キハ713+キハ712 (桃浦~常陸小川:1987年3月)
この日は平日だったので、下校列車が2連でやって来ました。
下校列車は元芦別のコンビでした。この当時はまだ通学に列車を利用する生徒が結構いたようで、日中にもかかわらず2連が走りました。ところで、車体広告が幻滅です。鹿島鉄道の車体広告はこの頃から採用されましたが、なぜか道産子気動車だけが広告車に抜擢されました。それにしても、Sスポーツさんはこんなところで宣伝しなくても十分に知名度はあったはずですし、こんな田園地帯でどの程度の広告効果があったのでしょうか?まさか、30年以上も後に、このようなブログで宣伝されるとは想定されていなかったと思いますが・・・。
2.DD902+タキ5連 (浜~八木蒔:1987年3月)
そしてこの日、貨物は2往復運転されました。この写真は1往復目の帰りの空タンク列車で、先頭の機関車はDD902でした。もうDD901が走ることは滅多にありませんでした。
3.DD13171+タキ5連 (八木蒔~桃浦:1987年3月)
午後になると、2往復目の積車がDD13171に牽引されてやって来ました。貨物列車は、自衛隊百里基地に近い榎本までの運転です。榎本駅にはジェット燃料の降ろし施設がありましたが、この施設は自衛隊の管理下にあり、撮影は一切禁止されていました。
4.キハ714、DD13171+タキ5連 (玉造町:1987年3月)
貨物の2往復目の帰りを玉造町で捉えました。
ここで鉾田行きのキハ714と交換です。この玉造町は有人駅で、側線を利用してタンク車が留置されていました。
5.キハ712 (榎本~玉造町:1987年3月)
貨物の撮影が終わったので、この日はこのキハ712を撮って撤収です。そして常磐線沿線ローカル私鉄早回りもこれで終了ですが、暇な学生生活もあと半月となり、最後の悪あがきに拍車がかかりました。