ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第317話 1986年太平洋炭鉱:丘の上のレイアウト

1986年3月は特別な意味もなく冬の北海道へ向かいました。

三菱石炭鉱業鉄道のストーブ列車を見たかった理由はありましたが、それだけで渡道するのはもったいないと、暇な貧乏学生だった私は、例の北海道ワイド周遊券をフル活用して、道内の夜行急行をねぐらに、結局冬の北海道を1周してしまいました。

そして再び釧路の太平洋炭鉱を訪問しました。

 

1.161号の牽引する空車列車 (春採選炭場:1986年3月)

f:id:kk-kiyo:20190831102317j:plain

前年夏の初回訪問時とは違い、釧路は快晴でした。

今回は前回訪れなかった春採の選炭場に出向きました。初回訪問ではここまで来なかったため、お目当ての凸型8t電機を見ることが出来ませんでした。今回はそのリベンジでしたが、やはり凸型8t電機はもういませんでした。

 

2.所在場所(引用:国土地理院1/12500地形図「釧路」昭和48年発行)

f:id:kk-kiyo:20190831102340j:plain

今回は、春採電車線の路線を国土地理院の地形図でご紹介します。この地図は1973年(昭和48年)発行のものです。つい最近廃止された太平洋石炭販売の路線が、まだ釧路臨港鉄道時代で、春採から東釧路方面への路線も記載されています。そして春採電車線は、最も元気だった頃です。

地図を見ると、当時の春採電車線は本線から分岐する支線も存在していました。また、地図の右下には本線とつながらない軌道も記されています。これらは当時、春採坑以外にも坑口があったことを示しますが、昭和40年代にはなくなってしまった様で実態がわかりません。

 

3.163号の牽引する空車列車 (春採選炭場:1986年3月)

f:id:kk-kiyo:20190831102538j:plain

 東芝製の凸型8t電機はもういませんでしたが、ニチユ製の新税 凸型16t電機がせわしなく走っていました。それにしても、この機関車は正面から見ると恐ろしくノッポな車両でした。

 

4.161号の牽引する空車列車 (春採選炭場:1986年3月)

f:id:kk-kiyo:20190831102607j:plain

 選炭場のループを走る運炭列車は、まるで模型を見ている様でした。まさに、「丘の上のレイアウト」と言ったところです。

 

5.161号の牽引する積車列車 (春採選炭場付近:1986年3月)

f:id:kk-kiyo:20190831102642j:plain

 ここは春採選炭場のループ入口です。線路が3本敷かれていますが、列車は右側通行なので、手前の線路が鉱業所に戻る線路です。一番向こう側の線路は多目的な線路です。このあたりに半年ほど前まで凸型8t電機が留置されていたそうです。

 

6.161号のサイドビュー (春採選炭場:1986年3月)

f:id:kk-kiyo:20190831102712j:plain

 ひょろ長いノッポ電機も真横から見ると、結構しっかりしていました。