ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第320話 1986年太平洋炭鉱:丘の上のレイアウト(その4)

太平洋の海底炭鉱を支える機材の整備拠点は、春採選炭場東側の丘の下にもありました。

 今回は、その「丘の下のレイアウト」を少々ご報告します。

 

1.バッテリーロコの資材列車 (春採選炭場付近:1986年3月)

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 春採選炭場側のループ線から分岐する支線を辿ると、その先は丘の上から一気に下るインクラインになっていました。インクラインを下ると、その下側は軌道が網の目のように張り巡らされていました。

 

2.バッテリーロコ (春採選炭場付近:1986年3月)

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 この一帯は、炭鉱機材の整備工場が密集しており、軌道は複数の建物内につながっていました。そして非電化なのでバッテリーロコがせわしなく走りまわっていました。

 

3.バッテリーロコ (春採選炭場付近:1986年3月)

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 偶然目の前を通ったB-13と付番されたバッテリーロコを追い掛けて着いた場所は、重機の整備場のようでした。雪解けで路面はぬかるみ、長靴でないと歩けません。ここで バッテリーロコの追跡を諦めました。

 

4.バッテリーロコ (春採選炭場付近:1986年3月)

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バッテリーロコを撮影していたら、現場の人に、こんな写真を撮ってどうするのかと話しかけられました。理由を説明しても理解してもらえないと思い、春採電車線の電機を見に来たと回答すると、その人から重要な情報が入りました。

その人いわく、「あっちに、古いのが展示されてるよ」とのことで、詳細を確認すると、丘の上の更に上に、スカイランドという太平洋炭鉱の福利厚生施設があり、その近くに以前使用されていた凸型8t電機が2両保存されているというものでした。

 

5.バッテリーロコ (春採選炭場付近:1986年3月)

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 これは願ってもない情報です。急いで丘の上に向かいました。そして、確かに凸型8t電機が2両保存されていました。

 

6.7号機保存車(スカイランド付近:1986年3月)

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ようやく現物を見ることができました。スカイランド近くの公園に保存展示されていたのは、7号機と3号機でした。

7号機は比較的原型を留めるお馴染みの一口羊羹スタイルをしていました。この7号機の実寸を測定することができたので、その後、TMSのコンペに出展した8t機の模型化が実現しました。

 

7.3号機保存車(スカイランド付近:1986年3月)

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この8t機は、引退する少し前に車体更新が始まっており、原型のまま窓枠など簡易な更新を受けた車両と、車体上回りをそっくり新製した車両がありました。

もう1両の保存車である3号機は、車体を新製更新した車両です。前面窓が大型の1枚ガラスとなり、キャブも少し大きくなったようです。せっかく車体を造り替えたのに2年程でお役御免となり、少々もったいない感じがしましたが、合理化のための大型16t機導入には背に腹はかえられなかったと言うことです。

とりあえず、8t機が保存されていることを確認できて安心しましたが、すでに錆が浮いており、これからの維持がまた問題です。なお、この2両以外の8t機の消息が気になりましたが、その後、2号機と10号機が北海道の三笠鉄道村に保存されます。現在これらの保存車がどうなっているのか知りませんが、太平洋炭鉱がなくなり、スカイランドは跡形もなくさら地になってしまったそうです。果たして保存車は、・・・・。三笠の方は朽ち果てぬことを願うばかりです。