1990年の正月は大井川鉄道の井川線で新年を迎えました。その際の状況は、第262話~第266話で報告しましたが、その後に欲張って名鉄揖斐・谷汲線の正月輸送を撮影に向かいました。
1.モ512+モ513 (下方~相羽:1990年1月)
この辺りは関ケ原同様に日本海からの雪雲の抜け道であるため、例年この時期は天気が安定しませんがこの日は朝から快晴となり、一段と冷え込みました。
早朝、やって来たのはモ510形の2連でした。
モ510形は谷汲山華厳寺の初詣輸送のため、この日も早朝から稼働していました。この写真は、下方駅近くから撮影したものですが、日の出直前で露出が厳しい状況でした。
2.モ512+モ513 (下方~相羽:1990年1月)
しかし、貴重なモ510形なので、撮影チャンスを無駄にはできません。例によって、ハンドドライブで連写です。調子に乗って5枚ほど撮ってしまいました。しかし、ピントが甘かったです。
3.モ512+モ513 (下方~相羽:1990年1月)
この日のモ510形は、モ512+モ513の2連で、岐阜市内~谷汲線の臨時直通急行に充当されていました。
4.モ702+ク2323 (下方~相羽:1990年1月)
続いて名岐・愛電コンビがやって来ました。
朝日が昇り、スカーレットの車体が映えます。晴れてはいますが、後方の山並みは厳しい冬景色です。
5.モ702+ク2323 (下方~相羽:1990年1月)
ここには、好ましい火の見櫓があり、レトロな電車とマッチしていました。この列車も思わず連写してしまいました。
6.モ702+ク2323 (下方~相羽:1990年1月)
気温の上昇と共に、霧も上昇して幻想的な光景です。
ところで、揖斐線の新車ですが、1987年~1988年に岐阜市内線直通車のモ770形が4本投入されましたがその後は増備が止まっていました。とりあえず市内線直通車はこの4本でやり繰りできたので、これ以上の増備は必要なかったようですが、揖斐線内の高床車両は置き換えの計画もなく時が止まっていました。趣味的には大変有難いことですが、1990年代にもなって大手の名鉄が、大正時代の電車を当たり前のように走らせていたことに驚異を感じます。