谷汲線の正月輸送は地味ではありましたが、モ510形や愛電・名岐コンビの入線が見られ、私にとっては毎年恒例の撮影行事となっていました。
1.モ703+ク2326 (長瀬~結城:1990年1月)
しかし、これらの60年以上も前に造られた車両が日常的に使われていることは、趣味的にはおおいに結構なことでしたが、冷静に考えて異常とも思えました。しかも、この路線は大手の名鉄です。
2.ク2326+モ703 (結城~長瀬:1990年1月)
そして、谷汲線は電力事情で新車の入線が困難とのことで、安心して古い電車の撮影に没頭できしましたが、電力設備の改修を行わなかった理由は、将来性のある路線ではなかったということです。
3.ク2326+モ703 (結城~長瀬:1990年1月)
それでも、谷汲線は新車が導入されないままこの後11年間存続して、揖斐線より一足早く2001年に、旧型車とともに消滅しました。
4.モ513+モ512 (結城~長瀬:1990年1月)
再び、モ510形の2連がやってきました。
モ510形は本当によく働いていました。
5.モ513+モ512 (結城~長瀬:1990年1月)
この頃、岐阜市内直通車は2連接のモ770形が主力となっていましたが、輸送力が小さく、正月輸送にはやはりモハ510形に頼らざるを得ません。もっとも、モ770形は電力事情の関係で谷汲線には入線できませんでしたが・・・。
6.モ513+モ512 (結城~長瀬:1990年1月)
直通車の輸送力アップは、名鉄も問題視していたようですが、なかなか投資が追い付かないようで、このため旧型車がいつまでも引退できなかったものと思われます。
7.モ513+モ512 (結城~長瀬:1990年1月)
しかしながら、この古い車両のお守りも、大手の名鉄だったから実現できたものと思います。これが独立したローカル私鉄であれば車両以前に路線がなくなっていたかもしれません。谷汲線は、まさに大手私鉄の隠れ蓑でした。