ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第331話 1988年南部縦貫:七戸の五右衛門風呂

今回は、1988年GWの東北地方ローカル私鉄早回りで立ち寄った南部縦貫鉄道です。

この日は午前中に栗原電鉄を訪問した後、東北本線を延々と北上して夕刻に野辺地に到着しました。宿を取っておらず、野辺地に泊まるつもりでしたが、公衆電話の電話帳(まだ携帯電話も普及していない頃です)で目に付いたのが七戸の旅館でした。翌日の撮影を考えて七戸に泊まることにし、最終のレールバスで七戸に向かいました。

 

1.キハ102 (野辺地:1988年5月)

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 七戸行きの最終列車は、18:50発でした。数人の乗客を乗せて出発しましたが、天間林あたりで皆降りてしまい、七戸まで乗ったのは私だけでした。

 

2.南部縦貫鉄道野辺地駅 (野辺地:1988年5月)

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 七戸に着いた時は、もうすっかり陽は暮れて真っ暗でした。

宿は取れていましたが、誰もいない真っ暗な七戸駅前は非常に心細く感じました。私が泊まる旅館は、駅前ではなく市街地の方なので、暗い夜道を歩きました。ところで予約した旅館ですが、到着してビックリ、ものすごい旅館でした。今もあるのか?わかりませんが、白鳥旅館というハイカラな名前でしたが、看板がなければ通過してしまいそうな、実態は農家の母屋というか、茅葺屋根の大きな木造2階建てでした。中に入ると昔の造りで相当デカイ建物でした。部屋は迷路のような廊下と階段を2カ所あがった、屋根裏のような2.5階?の消防法に抵触しそうな部屋でした。一応畳敷きの個室にはなっていました。そして風呂は当然の共同浴場で、なんと土間に置かれた五右衛門風呂。今どきの人に五右衛門風呂と言っても、恐らく通じないでしょう。さらにトイレは標高差のある汲み取り式で、用を足して時間差で落下物が着地する音が聞こえました。

いったい何部屋あるのかわかりませんが、GWにもかかわらず泊まっていたのは私一人だけのようでした。当時のメモによると、素泊まり一泊2000円。とにかく座敷童が出て来そうな宿でしたが、一泊だけの辛抱です。

 

3.南部縦貫鉄道本社兼七戸駅 (七戸:1988年5月)

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 座敷童にも会わず翌朝となりました。とっとと宿を出ましたが曇り空です。

早朝から七戸駅に出向きましたがまだ営業前で駅は閉まっていました。

 

4.D451 (七戸:1988年5月)

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 早く来すぎたようで、することもないので構内に留置してあった失業機関車の撮影を行いました。

 

5.DC251 (七戸:1988年5月)

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 構内にはD451とDC251が居ました。この2両は1984年の貨物廃止以来まったくの失業状態です。長らく庫内に閉じ込められていましたが、なぜか追い出されてしまい使われていないホームで、買い手を待つ展示状態のようです。

 

6.DC251 (七戸:1988年5月)

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 国鉄が貨物の合理化を挙行し、各地で機関車達が失業しました。それからは機関車が余剰となり、どこの鉄道も失業した機関車の扱いに悩んでいましたが、なかなか買い手がつかないようで、大抵は保線用や除雪用に成り下がるか、廃車解体の運命でした。