ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第342話 1993年高松琴平:凸凹3連を求めて(その6)

長尾線に続いて、志度線です。長尾線に比べて志度線は撮影場所が限られてしまい、手っ取り早く、いつもの春日川橋梁あたりでの撮影となりました。

 

1.315+130+230 (春日川~潟元:1993年11月)

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この日は天気は良いのですが、少し霞んでおり、屋島がはっきり見えません。おまけに干潮で春日川も川底がむき出し状態でしたが、想定外の3連がやって来ました。もうラッシュは終わっている時間ですが、志度線の方は乗客が多いのかラッキーでした。 

 

2.315+130+230 (春日川~潟元:1993年11月)

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 この3連は長尾線では見かけなかった、3000形+1000形+230の凸凹3連でした。230の元気な姿も見られたので、来た甲斐がありました。

 

3.27+28 (春日川~潟元:1993年11月)

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 そして、志度線でも30形が走っていました。

1993年時点、30形は2連7編成がすべて健在でした。健在というか当時の長尾線志度線の主力車であり、まだまだ2000年頃まで活躍しますが、この27+28は30形で一番最後まで残った編成でした。

 

4.27+28 (春日川~潟元:1993年11月)

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 制御車である28はかつて電動車だった名残であるパンタの台座が屋根上に残っていました。

 

5.22+21 (春日川~潟元:1993年11月)

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 続いてやって来たのは、20形2連です。かつての卵型流線形もこうなってしまうと救いようがありませんが、貴重な元近鉄電車です。

 

6.22+21 (春日川~潟元:1993年11月)

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 20形は23が1両だけ長尾線のラッシュ運用で30形の増結車となっていましたが、志度線では22+21が運用されていたので、残る24はお休みの様です。

 

7.37+38 (春日川~潟元:1993年11月)

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 志度線も日中は、30形ばかりのようなので早々に引き上げて、次は今橋の車庫へ行ってみました。