ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第343話 1993年高松琴平:凸凹3連を求めて(その7)

今橋車庫の様子です。

ちょうどラッシュを終えた車両が戻って来ていました。しかし、相変わらずのギュウギュウ詰めで撮影は難しい車庫です。

 

1.510+23他 (今橋:1993年11月)

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 510も23も先程長尾線でラッシュ時の増結用だった車両です。わずか1往復程度しか走っておらず、このまま昼寝なのか?

 

2.今橋車庫の様子 510+23、860他 (今橋:1993年11月)

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 今橋車庫では列車検査が行われていたので、ここでねばれば、たいていの車両は撮影ができましたが、この日は珍しい車両もいなさそうなので、近所にある瓦町留電線に行ってみました。

 

3.65+850、67 (瓦町:1993年11月)

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 こちらは、瓦町の留電線です。ここも日中は車両がギュウギュウ詰めとなるので、撮影が難しい場所ですが、検査のためかまだ車両は戻っていない状況でした。

 

4.67 (瓦町:1993年11月)

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ちょうど67が良い場所に出ていました。この67が復活するとは琴電ミステリーでした。

つい先ほど長尾線で初の走行写真を撮ったばかりですが、まともな形式写真もこれが初めてです。しかし、改めて見ると不思議な車両です。1972年にクハ220を電装化しその際に鋼体化されましたが、中途半端に原型のまま外板を張り替えたようなスタイルで生まれ変わり、見た目は新しいのか古いのかよくわからない車両です。

 

5.1017、1063、950他 (仏生山:1993年11月)

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 この日は朝から何も食べていなかったので、瓦町で讃岐うどんを食べて、午後から仏生山に出向きました。

いきなりスーツ姿で撮影許可をもらいに行ったので、何事かと思われましたが無事に許可をもらいました。この日は1017と950のコンビが検査入場しており、珍しく950の連結面が撮れました。この写真の右側の貫通路をべニア板で塞いだ車両が950です。

950は元国鉄オハ35形客車の台枠を流用した琴電お手製の制御車でした。写真を見て頂くと連結面の下部に灰色の台枠が露出してアンチクライマーが付いています。そしてわかり辛いですが、車端部が絞られており、オハ35の名残を留めていました。

 

6.1017 (仏生山:1993年11月)

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1017は元三岐鉄道のカルダン車だった高性能車ですが、琴電転入時に他の相棒たちと同様に吊掛車化され性能ダウンを余儀なくされた車両です。おまけにこの車両だけはコンビを組む同形車おらず余ってしまい、仕方なく950とコンビを組むことになりましたが、なぜか稼働率は低く、朝のラッシュ時の限定運用専属でした。

 

7.廃車1035 (仏生山:1993年11月)

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1993年時点で琴平線は、日中の運用車はほとんどがカルダン車になっていました。その反面、吊掛車は徐々に廃車されて行きました。当時仏生山近くの側線には、廃車となった吊掛車が解体待ちで留置されていました。
写真の1035は1020形として導入された元名鉄3700形で、2連7編成が在籍しましたが、1029+1030と1031+1032の2編成がカルダン化された以外は1080形の増備と入れ替わって廃車されました。