ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第344話 1993年高松琴平:凸凹3連を求めて(その8)

仏生山まで来たついでに、琴平線の撮影も行いました。

撮影が琴平線に移り、凸凹3連の話題ではなくなってしまいましたが、琴平線にも3連が存在しました。普段はなかなか撮影のチャンスがありませんが、増結用の1M車が3両在籍しており、時々3連が走りました。

この頃の琴平線は、元京急1000系の1080形が大繁殖していた最中ですが、あえて1080形は撮っていません。琴平線は、長尾線志度線に比べれば新しい車両ばかりですが、琴平線のちょっと古い車両をご覧ください。

 

1.1053+1054 (一宮~仏生山:1993年11月)

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 琴平線の初っ端は、元阪神ジェットカーの1053+1054です。この車両は阪神から来た車両では一番新しくカルダン車なのでどうでも良い車両ですが、琴電では最初のカルダン車でした。琴電では長らくカルダン車の導入を拒み続けていましたが、この車両からカルダン化に弾みがつきました。

 

2.1051+1052+1020形2連 (一宮~仏生山:1993年11月)

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 続いてやって来たのは、これも元阪神ジェットカーに元名鉄車の1020形を連結した4連です。

この1051+1052は琴電入線時に吊掛車にされてしまったジェットカーモドキでした。後から琴電に来た1053+1054がカルダン車のまま使用されたという、なんとも理解し難い状況で使用されましたが、1984年にカルダン車として再起しました。

 

3.1053+1054+1080形2連 (一宮~仏生山:1993年11月)

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 そして、再び現れたジェットカー1053+1054は1080形を連結して4連になっていました。1053+1054はカルダン車なので導入当初は連結相手がいませんでしたが、カルダン車の仲間が増えて、4連となる機会が増えました。阪神+京急の連結運転は琴電ならではです。

 

4.1013+1014+1061 (仏生山~太田:1993年11月)

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予期せぬ3連がやって来ました。
これは元三岐の1013+1014に元阪神の1M車である1061を増結したもので、数少ない吊掛車の編成です。恐らく1080形の増備で廃車対象になる車両です。

 

4.1015+1016 (仏生山~太田:1993年11月)

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1015+1016は元三岐のカルダン車を琴電入線時に吊掛車化した車両ですが、元京急600系である1070形の導入によりカルダン車が増えたことから、1987年に再びカルダン車に戻されました。

 

5.1015+1016 (仏生山~太田:1993年11月)

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名鉄の1020形も一部カルダン化されましたが、なぜ元三岐のこの編成が1本だけカルダン化されたのか不可解です。しかし、カルダン化されたということは、しばらくは安泰です。

 

6.1031+1032 (仏生山~太田:1993年11月)

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 今度は1031+1032がやって来ました。

1031+1032は元名鉄3700形です。もともと吊掛車ですが、この車両も1985年にカルダン化されました。

 

7.1031+1032 (仏生山~太田:1993年11月)

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1031+1032は廃車が進む1020形の中において、カルダン化された生き残るだろう編成です。しかし、冷房化は計画がなく、いつまで生き残れるか?

さて、出張途上の身の上ではありましたが、早朝から非常に濃厚な一日でした。このあとは仕事の関係で再び広島に戻ります。

この年は何かに取り憑かれたかのように、年末にも琴電を訪問します。当時はまだ独身だったので自由気ままに行動していましたが、改めて佳き時代でした。