ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第347話 1988年新潟交通:もうすぐ春ですが・・・(その3)

新潟交通の白根~燕間は輸送需要が少なく、列車本数が半減します。そして平日のラッシュ以外はほとんど単行運転でした。車両もほとんどが日車標準車体なので、2,3列車撮影すれば飽きてしまいます。

 

1.モハ24 (新飯田~六分:1988年3月)

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列車の運行本数が少ない区間ですが、六分~燕間には区間列車があり、若干列車本数が増えます。この日はモハ24が区間運用に就いていました。

 

2.モハ2230+モハ2229 (燕~灰方:1988年4月)

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この写真から4月初旬となります。

そして、いつもの田園地帯ですが、雪解け後の田圃は、一年で一番貧相な時期です。天気は良いのですが、土がむき出しで見栄えが良くありません。そんなわけで撮影意欲が湧きませんが、想定外の小田急がやって来ました。これはラッキーです。

 

3.モハ2229+モハ2230 (灰方~燕:1988年4月)

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越後平野を走るモハ2220形は、往年の秦野辺りを走る小田急電車とダブります。

新潟交通唯一のカルダン車は音もなく軽快に通り過ぎて行きました。

 

4.クハ46+モハ10形(燕~灰方:1988年4月)

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 この日は土曜日だったので、ラッシュを終えた2連が戻って来ました。この場所は燕高校のすぐそばで、本来なら列車の背後に弥彦山が望まれるはずですが、霞がかかって何も見えません。

 

5.モハ10形+クハ40形 (灰方~燕:1988年4月)

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 続いて2連です。弥彦山も見えず、同じ様な写真を撮っても意味がないので逆光写真にトライしてみました。

 

6.モハ18 (灰方~燕:1988年4月)

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毎度定番の灰方のカーブです。やはり弥彦山がないと平凡な写真になってしまいましたが、何もないところが越後らしさを感じます。