ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第348話 1988年新潟交通:もうすぐ春ですが・・・(その4)

この日は春霞で弥彦山は見えませんが、いつもの灰方のカーブで撮影を続けました。

 

1.モハ24 (灰方~燕:1988年4月)

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 車体広告なしのモハ24がやって来ました。

やはり車体広告なしの車両は見栄えが良いです。

 

2.モハ24 (灰方~燕:1988年4月)

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 せっかくのモハ24なので、縦位置で連写してしまいました。この辺りも、そろそろ田植えの準備が始まる頃でした。例年だと5月の連休頃には、一帯が水田になります。水田の頃の撮影を狙っていましたが、この年は叶いませんでした。

 

3.モハ21+クハ40形 (灰方~燕:1988年4月)

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 この日は土曜日だったので、2連がやって来ました。この写真はラッシュが終わり、戻って来た燕行きを後追い撮影したものです。乗客が少ないので先頭のクハのみ客扱いをしていましたが、実態はクハの回送です。

 

4.モハ18 (燕~灰方:1988年4月)

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 ラッシュが終わると、モハの単行運転となります。この後は恐らく、日車標準車体の電車ばかりになるので面白くありません。

 

5.モハ18 (灰方~燕:1988年4月)

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 この日は、モハ18が燕~六分間の区間運用に就きました。写真を見ると右端の架線柱が1本だけ、いつの間にかコンクリート製に交換されていました。そろそろ設備更新が始まった様です。さて、電車の更新は検討されていたのか?

新潟交通と同じく、日車標準車体の吊掛車を運用していた松本電鉄は、1986年に昇圧して一足早く両運化した東急5000系を導入しました。新潟交通はすでにDC1500V化されており、カルダン車である小田急2200系を導入した実績もあり、比較的大手の車両を導入しやすい環境でしたが、運用を見ている限り2連固定編成は必要ない様で、17~18mクラスの両運車が欲しいところです。

 

6.モハ18 (小中川~灰方:1988年4月)

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この日は、ラッシュの運用を見届けて撮影終了です。最後に撮ったこの写真は、田園地帯からかなり移動した場所に見えますが、実は すぐ近くです。灰方駅の小中川寄りは集落となっており、列車はほんのわずかな区間だけ集落内を走りました。広大な田園地帯のオアシスの様な一帯で、ローカル線の趣きある撮影ができました。