ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第371話 1989年大井川:SLではなく電車!

つい先日、コロナウイルス感染拡大の影響で、大井川鉄道が9割減の列車運行に追い込まれたというニュースを見ました。SLが走らなければ成り立たない程、本来の地域輸送がなくなってしまったとは、悲しい現実です。

さて、第262話~第266話では、アプト化される直前の大井川鉄道井川線の様子を報告しましたが、その時に大井川本線の電車も少々撮影していたので、今回ご覧いただきます。

毎度のことですが、今回もSLの写真は1枚もありません。

 

1.モハ311+クハ511 (崎平~千頭:1989年12月)

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 この写真は、1989年の大晦日に井川へ向かう途中に撮影したものです。

天気が良かったので、千頭から歩いて戻り、大井川第4橋梁で撮影しました。やって来たのは元西武361系のモハ311+クハ511です。古風な車体ですが車内は初代西武特急レッドアロー号の座席を転用し、なんとか観光にも兼用されていました。

 

 

2.モハ311+クハ511 (崎平~千頭:1989年12月)

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 せっかくなので連写しました。この日は大晦日ですが、観光シーズンも終わったこんな山奥に来る人はほとんどいません。しかし、SLは走るみたいでしたが私には関係はなく、とっとと井川線を目指しました。

 

3.E102ほか (新金谷:1989年12月)

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 この日の朝、新金谷で留置車両を少し撮影しました。車庫内にはSL牽引用の旧客と補機の電気機関車が待機していました。煤けた黒と焦げ茶色。これが蒸気時代の鉄道の色です。ここはカラーよりも白黒の方が伝わるものがある様な気がします。

焦げ茶色の電気機関車と旧客の組合せも結構渋いですが、つい最近、故障したSLの代走でEL列車が実現したとのことで、ようやくSLの黒子も陽の目を見るチャンスがやって来たようです。

 

4.モハ6011+クハ6061 (千頭:1990年1月)

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 ここからは井川線からの帰り道で、年が明けて1990年です。

千頭駅には田舎のゴージャス電車である、元北陸鉄道出身のモハ6011+クハ6061が客待ちをしていました。西陽を浴びてギラギラ光っていました。この車両は後年に補助灯が2灯追加されますが、改造前の原型の綺麗な姿を撮影できました。

 

5.保存車モハ301 (千頭:1990年1月)

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 これまた、記念物級の車両が構内にいました。

すでに運用を離脱して久しく、実態は元院電にまで遡る車両で、1972年に名義をモハ3829に譲ったモハ301(注1)の成れの果てです。この時点では一応、大井川鉄道の鉄道記念物として保存されていました。

しかし、その後はJR東海に引き取られて現在はリニア・鉄道館で保存されています。

(注1)モハ301の車歴

大井川モハ301←国鉄クデハ307←三信デ307←国鉄モハ1035←国鉄デハ33509:1922年汽車会社製

 

6.3000系5連 (千頭:1990年1月)

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 千頭の構内には、哀れな小田急SSE車がいました。

まだ廃車にはなっていませんでしたが、もう営業に出ることはなく、ご覧のように朽ち始めていました。結局、1993年3月に廃車となりましたが、本当に哀れです!!

 この時、大井川鉄道の電車も、そろそろ新しいネタが欲しいところでしたが、まさか東急7000形など導入しないか心配でした。結局、東急7000形は導入されませんでしたが、24年後の2014年に廃止となった十和田電鉄から元東急7200形を2両購入し、間接的ではありましたが、東急の車両が大井川にも導入されました。