ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第372話 1989年三井三池:三川坑のナロー

つい最近の話題ですが、かつて九州の大牟田にあった三池鉄道の支線で、三池鉄道亡き後も生き残っていた三井化学専用線が廃止されました。これによって、三池炭鉱に関係した大牟田市の鉄道は、初代三池炭鉱専用鉄道開業から130年もの歴史に幕を閉じました。

私が三池炭鉱を最後に訪問したのは1993年でした。その時点で炭鉱はかなり縮小されており、1997年3月の閉山と共に旧三池鉄道も廃止されました。それから23年間も一部の車両は三井化学専用線で活躍し続けていました。令和の時代にこれらの車両が現役であったことは、全く軌跡的です。しかし、生き続けた車両が活躍する姿を、私は見ることが出来ず大変残念です。

 

さて、第259話~第261話で1989年当時の三池炭鉱専用鉄道の様子を報告しましたが、その時に三川坑にあったナローゲージの坑外資材運搬軌道も撮影していましたので、今回お伝えします。

この坑外軌道は、1984年頃までは電化されておりL型の奇妙なノッポ電機が活躍していましたが、私が訪問した時には既に非電化となっており、お目当てのノッポ電機を見ることはできませんでした。

そして、三池炭鉱自体も縮小ムードで、この坑外軌道も末期状況でした。

 

1.坑外軌道の廃車DL群 (三川坑土場:1989年9月)

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 この坑外軌道は、三川坑の資材運搬のために敷設された路線です。軌間は610㎜のナローゲージで、当然三川坑の坑道にもつながっていました。路線は三池鉱業所の三川坑から一旦三池鉱業所の構内を出て、諏訪川を越えたところにあった広大な土場まで続いており、土場にはささやかな機関車のねぐらもありました。

 

2.北陸重機製6tDL No.5 (三川坑土場:1989年9月)

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1989年当時の主力機関車は、1985年~1986年に導入された北陸重機製の6tDL(注1)でした。

この時点、北陸重機製のDLは4両在籍していましたが、その後これと同型車が三池鉱の資材運搬軌道にも3両増備されました。

 

3.土場の車庫に集う北陸重機製6tDL No.5他 (三川坑土場:1989年9月)

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 (注1)北陸重機製6tDLの車歴

・三池三川No.5:1985年北陸重機製

・三池三川No.6~8:1986年北陸重機製

 

4.廃車DL No.1 (三川坑土場:1989年9月)

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 土場の外れに、3両の見慣れない機関車が留置されていました。これらは、この軌道が非電化になった直後に導入された機関車で、北陸重機製の新車が導入されて廃車になったものでした。

これらの機関車は、素性がイマイチはっきりしませんが、文献によると、山口県宇部興産山陽無煙鉱業所(宇部炭鉱)で使用されていた中古車の様です。

No.1(注2)は、1973年ニチユ製とのことですが、この古風な機関車が1973年製とも思えません。岡本憲之さんの「ニチユ機関車図鑑(イカロス出版)」によれば、元々得体の知れない機関車の様で、これをニチユが1973年に整備して自社製番を付けたとのことです。

規模の大きな炭鉱では、お抱えの地元鉄工所や自社の機械整備工場などで、この程度の機関車なら作ってしまったり、原型を留めないほど改造してしまうケースもあるので、実態がなかなか把握できません。

 

5.廃車DL No.4 (三川坑土場:1989年9月)

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 No.4(注2)もニチユ製ですが、こちらは1961年製造で素性がはっきりしています。

 

6.廃車DLNo.2  (三川坑土場:1989年9月)

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 No.2 (注2)は、これもニチユ製?とのことですが、メーカー製番の記録がないようで、実態が不明です。

(注2)宇部炭鉱から転入した機関車の車歴

・ 三池三川No.1←宇部 車号?:1973年ニチユ製(種車の製造年、製造元は不明)

・ 三池三川No.2←宇部 車号?:?年ニチユ製?(車歴不明)

・ 三池三川No.4←宇部 車号?:1961年ニチユ

 

7.北陸重機製6tDL No.7 (三川坑土場:1989年9月)

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 土場にはまだ、架線柱が残っていました。しかし、ノッポ機関車は既に跡形もなく大変残念でした。