ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第383話 1993年広島:ボロ電激変そして再会!!(その3)

私にとって、広電に対する11年間のブランクは大きく、その間の変貌には正直ショックが伴いました。それは宮島線の高床車の消滅です。

私が広島を離れた、1982年3月時点ですでに宮島線の高床車は、元阪急の中古車である1070形、1080形とオリジナルの車体を持つ1090形、1061くらいでしたが、その後のこれらの車両を見届けることなく宮島線LRT化が進んでしまいました。すぐ近くまで来たこともありましたが、広電まで足を延ばさなかったことに後悔しています。

さて、1993年当時の広電の新車の話題はラストの3900形です。

 

1.3904編成 (福島町~西観音町:1993年7月)

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 1993年時点の広電には2代目のVVVF車となる3900形(注1)が既に5編成在籍しており、まだ増備の途上で、最終的には8編成となります。

 3900形は3800形のモーターを60kwから85kwに強化した以外は性能面では3800形同等ですが、フロントガラスが大型化され、内装もカラーリングを変更していました。

この時点で、VVVF車は14編成に達し、広電は軽快電車主体の都市交通になっていました。

2.3903編成 (本川町~原爆ドーム前:1993年7月)

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 (注1)3900形の車歴

・広電3901,3902:1990年アルナ工機製(1次車)

・広電3903:1991年アルナ工機製(2次車)

・広電3904,3905:1992年アルナ工機製(3次車)

・広電3906:1995年アルナ工機製(4次車)

・広電3907,3908:1997年アルナ工機製(5次車)

さて、以上が当時の広電の新車と言われたラインナップですが、これらの新車が導入された以降の旧来のボロ電たちはどうなったかと言うと、宮島線の高床車以外はほとんど残っていました。

その理由は、宮島線が完全LRT化されたため、市内線直通用の3連接車が多量に必要となったことから、一挙にモドキを含む軽快電車が導入されましたが、旧来の直通車も捨てるわけにはいきませんでした。なにしろ、市内線の輸送力確保から、市内線にも連接車や連結車が必要となり、旧来の直通車も廃車できないほどの輸送需要になっていたからです。

広島という街は、山陽新幹線開通以降、人口が爆発的増加の一方で、このような事態が生じました。

それではここからは、市内線を歩きながら撮影した当時の旧来車両の話題に入ります。

 

3.2003+2002 (小網町~土橋:1993年7月)

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紙屋町から己斐に向かって歩きました。土橋から観音町へ抜ける軌道敷は11年前とほとんど変わらず同じ佇まいでした。交通量も少なく、石畳みが続きます。

2000形2連がやって来ました。ボロ電時代の車両との再会です。しかし何か違和感が?

前面の行き先表示の大型化と前照灯の位置が変化しており、屋根上には冷房装置が載っていました。しかし、2000形は予備車となった2001を含む全車が健在で、相変わらず宮島線と市内線の直通運用に充当されていましたが、やはり軽快電車が増備されたためラッシュ時のみの運用が多い様でした。

 

4.3005編成 (小網町~土橋:1993年7月)

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3000形で唯一西鉄福岡市内線の1100形から改造された3005編成がやって来ました。3000形もまだまだ健在でした。この3005編成は登場時は屋根周りのピンク色が側窓の上縁まで塗られており、やぼったい塗り分けでしたが、他の編成同様になり、スッキリした感じです。

 

5.3101編成 (十日市~本川町:1993年7月)

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どこかで見たような?、初めて見る車両が来ました。
これは、元2連接の2500形を3連接化した3100形(注2)です。私が広島に住んでいた頃にはまだ存在していなかった車両です。2500形は両運車の2000形を2連接化したような車両で宮島線直通車として広電の往年のスター的存在したが、徐々に輸送力が乏しくなってきたため、1985年~1986年にかけて2500形5本を3100形3本に改造したものです。

 

6.3102編成 (小網町:1993年7月)

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 (注2)3100形の車歴

・広電3101A←広電2501:1961年ナニワ工機
・広電3101C←広電2502:1961年ナニワ工機
・広電3101B←広電2505:1962年自社製

・広電3102A←広電2503:1961年ナニワ工機
・広電3102C←広電2507:1964年自社製
・広電3102B←広電2504:1961年ナニワ工機

・広電3103A←広電2509:1964年自社製
・広電3103C←広電2508:1964年自社製
・広電3103B←広電2510:1964年自社製

     廃車←広電2506:1962年自社製

 

7.3101編成 (福島町~西観音町:1993年7月)

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3100形は改造にあたり、2000形と同様に前面の行き先表示大型化と前照灯の腰部移設を行い、冷房化されました。3連接化されて輸送力も向上し、軽快電車や3000形に混ざって運用されていました。