ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第384話 1993年広島:ボロ電激変そして再会!!(その4)

土橋から己斐にかけては、かつて私が通っていた高校が近くにあり、馴染みの場所であり、懐かしい場所でもあります。

高校卒業間近の1980年代初頭に、この沿道で当時のボロ電をよく撮影したものです。その頃の様子は第90話~第98話をご覧ください。

 

1.3703編成 (小網町:1993年7月)

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再び軽快電車モドキの登場です。その後ろには宇品からはるばるやって来た元京都市電が続行です。

ここは小網町電停です。広電では珍しく、ホームが無い道路に白線を引いただけの電停です。広電は軌道敷内の自動車の通行が禁止されているので、この様な狭い場所にホームを作ると自動車が通れなくなってしまうのでこうなってしまいます。

  

2.3802編成 (天満町~小網町:1993年7月)

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この区間は、宮島線直通車と己斐~宇品間の系統が走るルートなので、列車本数も多く、結構バラエティーに富んだ車両を見ることが出来ます。そしてなにより自動車が少ないので撮影には好都合です。ただし、夕方は己斐寄りの正面から西陽が射すので、どうしても正面がちの撮影になってしまいます。

 

3.3905編成 (天満町~小網町:1993年7月)

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 宮島線から直通の軽快電車が立て続けにやって来ます。かなりの頻度です。

広電の己斐~宮島間は完全にJR山陽本線と並行かつ競合していました。JRも都市型ダイヤを採用後、駅数も増やして強烈なデッドヒート状態になっていましたが、広電の強みは繁華街と直結していることです。

 

4.582 (小網町~土橋:1993年7月)

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新車の増備が続く広電でしたが、「路面電車の博物館」は健在でした。570形582は元神戸市電の車両ですが、神戸時代の塗装のままで活躍していました。前面行き先表示の大型化と冷房化が神戸時代から変化していますが、その他はほぼオリジナルを維持していました。以前は前面の前照灯まわりに菱形の黄色い警戒塗装が施されていましたが、それが消されてよりオリジナルに近づきました。

 

5.582 (天満町~小網町:1993年7月)

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この付近は、広島市西区の下町で、いまだ昭和の匂いがプンプンする一帯ですが、この街にはハイカラな軽快電車ではなく、やはり570形の様なレトロな車両が似合います。

 

6.584 (原爆ドーム前~紙屋町:1993年7月)

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570形は一時は17両も在籍していましたが、古い車両なので1993年当時はたったの3両にまで減ってしまいました。在籍していたのは、582,584,587でいずれも冷房化されていました。570形の車歴については、第92話をご覧ください。

レアな車両になってしまいましたが、稼働率は結構高く、主に3系統(己斐~宇品)と6系統(広島駅~江波)で活躍していました。