ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第388話 1993年広島:ボロ電激変そして再会!!(その8)

紙屋町からプラプラ歩いて己斐まで来ました。

ここはかつての私のホームタウンです。3005編成もそうですが、まだ見慣れた建物も健在で、11年前にタイムスリップです。

 

1.3005編成 (己斐:1993年7月)

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 かつて己斐は市内線の終点であり、宮島線の起点でもあり、駅名は律儀に市内線側が「己斐」で宮島線側は「西広島」と、それぞれ名乗っていました。最近取り壊されてしまいましたが、駅には広電のデパートも併設されており、ちょとしたターミナル的な存在でした。

この時点、すでに宮島線専用の高床車は引退しており、全ての車両が低床タイプになっていましたが、一部の宮島線内折返し列車用に、かつての高床車のホームがかさ下げされて残っており、宮島線のターミナルだった名残が残っていました。

 

2.3501編成 (西広島:1993年7月)

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 そのかさ下げホームに「元祖軽快電車」がいました。久々の再会にもかかわらず意味深の回送です。

また故障?

違います。これは先ほどまでギャンブル電車として宮島競艇に通うギャンブラー達を無料で送り迎えして一仕事終えたので、これから車庫に戻るための回送です。

しかし、元祖軽快電車は完全にギャンブラー達のアッシー君になっていたようです。

 

3.3002編成、2004、2006 (荒手車庫:1993年7月)

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 ついでに、荒手車庫まで足を延ばしました。

荒手車庫には11年前を彷彿するメンバーが集結していました。これらの車両はまだまだ現役でしたが、新型の軽快電車が増えたので、ラッシュ時の限定運用となっており、昼間は車庫で昼寝です。写真の左端にはドルトムントも・・・。

 

4.3001編成 (荒手車庫:1993年7月)

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 3001編成は少々傷んでいましたが、何と1年前の1992年に廃車となっていました。3000形のトップナンバーは廃車もトップでした。こういうのを見ると、時の流れを感じます。

右わきに1090形の廃車体が写っています。解体待ちか、保存目的なのか?しかし、これが最後まで残った高床車でした。

 

5.2001 (荒手車庫:1993年7月)

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 2000形の2連化で仲間外れとなった2001も健在でした。2001は、この時点でもう19年間も車庫内でゴロゴロしています。まさに荒手車庫の主です。状態も非常に良く、このまま「お宝」になってしまう感じでした。

 

6.1977年頃の広電路線マップ

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手元に1977年頃の路線マップがあったのでご紹介します。文字が小さいので少し拡大して見て頂ければと思います。

このマップは主要電停に置かれていたもので、イラストの幼稚っぽさが誰かの手作りの様で大変好ましく、国鉄の駅はまったくの度外視ですが、大変わかりやすいです。

これは「電車運転系統案内図」なので仕方ありませんが、観光地も適当です。このマップを見る限り、広島は観光地ではなさそうに見えますが、そんなことはありません。しかし、このマップにチョイスされた観光地?が意味不明です。例えば気象台。このマップを見て気象台に行く人がいるのか?その左の総合グランドは、私の知る限り観光地ではありませんし、電車では行けません。そして、その下の広島空港ですが、この飛行機マークもどうでもいい感じで描かれていますが、当時の広島空港はそこにありました。滑走路が短く、東亜国内航空のYS11が離発着していましたが、霧でしょっちゅう欠航していたような・・・。

この路線マップは、改めて見ると突っ込みどころが満載です。

運賃欄を見ると、この頃は市内線が60円(白島線は40円)でした。時代を感じます。駅名も宮島線の「荒手車庫前」、「魚市場」などまだ旧名です。

 

7.1993年頃の広電路線マップ

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そしてこのマップは、1993年頃のものです。多少イラストに色気がでてきましたが、相変わらずの幼稚っぽさです。ようやく川の名前が入り、地図らしくなりました。そして気象台が立派になっています。広島に初めて観光に来た人には、世界的に有名な原爆ドームや現在世界遺産の宮島厳島神社よりも、何もないただの公園(失礼!)の比治山の方が大観光地かと思われてしまいそうです。で、広島空港ですが、いつの間にか広島西飛行場になっています。この時点で広島空港は西条の山奥に引っ越してしまい、残った跡地は空港ではなく飛行場に落ちぶれていました。マップには飛行機の行き先が記されていますが、当時は誰が利用するのか、小松行きが飛んでいました。

この頃の市内線運賃は何と2倍以上UPの130円(白島線は90円)になっていましたが、まあ当時はこんなもんでしょうか。宮島線の駅も現在馴染みの駅名となっており、若干駅数が増えています。

このマップは、その後も微妙に進化し、英語バージョンも完備されて健在ですが、現在は運転系統も変わり、このマンガチックな内容から「世界の広島」に相応しい?内容に変わってしまいました。

さて、「久々の広島」はこのくらいにしておきます。その後、私は仕事の関係で、ほぼ毎週東京から広島へ通うことになり、広電との腐れ縁はまだまだ続きます。