ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第404話 1990年下津井:脱皮できなかった末路(その3)

この日は天気も良かったので、鷲羽山から下津井へブラブラ歩きながら撮影をしました。

 

1.モハ1001 (下津井~東下津井:1990年11月)

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 ここは毎度お馴染みの大ループです。朝からモハ1001ばかり撮影しているので少々飽きてきました。そしてモハ1001は相変わらずの落書き電車で困ったものです。最後くらい綺麗にしてあげれば良いのに・・・・。

 

2.モハ1001 (東下津井~下津井:1990年11月)

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 思えば、下津井電鉄に初めて訪問したのが1979年だったので、なんだかんだ11年もの付き合いになりましたが、軽便鉄道という特殊な規格にもかかわらず、よく頑張ったと思います。本来なら、路線の大半が廃止された1972年に消滅していてもおかしくはありませんでした。

 

3.モハ1001 (下津井~東下津井:1990年11月)

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 観光化を目論んだものの、やはり丸亀航路ありきで生き残っていたようなもので、瀬戸大橋線の開通=丸亀航路の廃止が、下津井電鉄の運命だったわけです。

 

4.クハ24+モハ103 (下津井:1990年11月)

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 下津井まで歩いてしまいました。

乗客が増えてきたのか、下津井には2連のクハ24+モハ103が待機していました。1985年の訪問時は白装束塗装でしたが、その後緑虫となりました。白装束よりはずっとマシですが、なんとフジカラー!!これも最後くらいはオリジナルの紅白塗装に戻してほしかったです。

 

5.クハ24+モハ103 (下津井:1990年11月)

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 この2連は軽便電車としては全鋼製の近代的な車両でした。メリーベル号導入後も、まともな電車として活躍しました。廃止後は、冒頭で触れましたが長い放置?の後に、クハ24だけが系列のホテルに引き取られて、保存かつホテルの設備として活用されています。長年コンビを組んできた相棒と引き離されたモハ103は、相変わらず下津井構内跡で保管されている様ですが、できればコンビの再結成を願うばかりです。

 

6.モハ103+クハ24 (東下津井~下津井:1990年11月)

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 さて、2連が登場するので再び本線に戻って撮影です。フジカラーがやって来ました。

ちなみに、この電車を撮影したフィルムは、ズバリ、逆輸入品のフジカラーフィルムでした。36枚撮りASA400が10本3000円でおつりがくる安さ!それでも綺麗に撮れています。しかし、30年も経つとネガの劣化が顕著で、ネガスキャナーでデータ化してギリギリセーフでした。