ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第406話 1990年下津井:脱皮できなかった末路(その5)

今回は現役時代の下津井電鉄の最終回です。

最後は新車のメリーベル号の話題ですが、この電車の導入には参りました。瀬戸大橋開通に合わせて観光鉄道に脱皮すべく導入されたのがこの車両ですが、モロ遊園地のおとぎ電車です。アルナ工機製と言うことで、由緒ある車両メーカーの作品ですがここまで遊戯化するとは思いませんでした。まあ、車両メーカーと言うより、岡山の風土文化なのでしょうか、チャギントン号と言い・・・・。

 

1.2000系メリーベル号 (鷲羽山~琴海:1990年11月)

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午後になり、3連の登場です。しかし、かつての旧型3連ではなく、新車のメ―リーベル号です。この場所まで上がると、瀬戸内海が綺麗に写せますが、車両が困った!!

この写真は、瀬戸大橋線近傍の擁壁から俯瞰したものですが、第405話でご紹介した鷲羽山~琴海のフジカラー電車は、この真下で写したものです。

 

2.2000系メリーベル号 (鷲羽山~琴海:1990年11月)

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 この年の8月にも、メリーベル号に乗車しました。その時は中間車を外して2連化されていましたが、今回は3連に復活していました。この電車はいわゆる、トロッコ電車です。この時期は気候も良くオープンカーに乗っている人も結構いますが、恐らく冬場は寒くて乗ってられないので、必然的に2連になるのでしょうが、その2連の更に1/3がオープン室となっているので、観光目的でない地元の利用者の評判はどうだったのか?

 

3.2000系メリーベル号 (鷲羽山~琴海:1990年11月)

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 ここも以前は眼下に児島競艇場が一望できる段々畑でしたが、ご覧のように樹木に囲まれてしまいました。せっかくやって来た観光電車ですが、残念ながらこれでは瀬戸内海を一望できません。

 

4.2000系メリーベル号 (琴海:1990年11月)

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 琴海駅の様子です。ここは唯一の交換駅でしたが、この時点では交換列車はありませんでした。かつては有人の駅舎もありましたがそれもありません。しかし、児島競艇のある日には利用客もあり、メリーベル号はギャンブラー達の「一獲千金の夢」を乗せて走るおとぎ電車になりました。帰りの電車では、大金?をスッてしまったボート狂達が、オープンカーに乗って頭を冷やして帰っていきました・・・。

 

5.2000系メリーベル号 (琴海:1990年11月)

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 琴海駅付近は瀬戸大橋建設の工事現場でしたが、工事現場が撤収してようやく落ち着きを取り戻しました。4年前のこの辺りは工事機材の置き場で、立ち入ることも出来ず、まともな撮影もできませんでしたが、今回は児島競艇をバックに撮影できました。

 

6.2000系メリーベル号 (琴海~阿津:1990年11月)

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 ところで、メリーベル号(注1)は、けったいな車両でした。中間車は全室オープンカーですが、両端は1/3室オープンカーで密閉室内はクーラー完備でした。そして何よりも前面のオープンデッキと運転台の関係が、かの頸城鉄道ホジ3のオリジナルの姿を連想するへんてこな構造になっていました。まあよくぞ認可されたものです。こんなのが認可されたので、その後もJR四国のホビートレインのような車両も認めざるを得なかったのしょう。恐るべし既成事実!!

 

7.2000系メリーベル号 (琴海:1990年11月)

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 (注1)2000系メリーベル号の車歴

・下津井モハ2001:1988年アルナ工機

・下津井サハ2201:1988年アルナ工機

・下津井クハ2101:1988年アルナ工機

←児島:モハ2000(Mc)+サハ2200(T)+クハ2100(Tc):下津井→

結局、メリーベル号は3年でお役御免となりました。もったいない話ですが、このスタイルでは引き取ってくれる路線もありません。もっともナローゲージの路線など、当時でも近鉄北勢線内部・八王子線)くらいしかありませんでしたが・・・。

下津井電鉄廃止の背景には、観光客の減少が挙げられますが、本家のバス事業も瀬戸大橋線の開通で窮地に追い込まれ、とても赤字鉄道の面倒を見る余裕などなかったことも廃止理由のようです。

この下津井電鉄の廃止が、国内最後と言える軽便鉄道の事実上の廃止となりました。