ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第416話 1987-88年越後交通(長岡):ひっそりと目立たずに!(その2)

越後交通長岡線の西長岡車庫を訪問後、午後の貨物列車撮影のため、深沢付近の田園地帯に繰り出しましたが、天気が怪しくなってきました。

 

1.ED5101牽引の空車貨物 (深沢~富岡:1987年9月)

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完全に曇ってしまいました。

午後3時過ぎ、刈入れの終わった田園地帯を、貨車3両を牽引したED5101がかん高い汽笛と共にやって来ました。

 

2.ED5101牽引の空車貨物 (富岡~深沢:1987年9月)

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短編成の貨物列車ですが、 これはいつものセメント列車の戻りではないようです。最後尾のタンク車は先ほど西長岡の構内で見かけた記憶がありました。恐らく関原方面から来た貨物かもしれません。もし、この貨物がなければこの日は空振りを食らったかも知れません。

 

3.ED5101単機回送 (深沢~富岡:1987年9月)

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 しばらくして、単機回送が戻ってきました。雨も降りだして、この日はこれで撤収です。

 

4.ED5101 (西長岡:1988年3月)

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 この写真は、1988年3月の撮影です。この頃、私は仕事で新潟に長期滞在していましたが、ようやく冬が終わり、かねてからの目的だった越後交通長岡線廃線跡探訪を行いました。長岡線は距離が長いので、大河津(現:JR寺泊)から西長岡までを2日間かけて歩きました。その時の様子は改めて報告しますが、その時に西長岡で撮ったのがこの写真です。

 

5.ED311 (西長岡:1988年3月)

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 この写真も、長岡線の廃線跡探訪時に撮ったものですが、なんとED311も錆止め塗装?になっていました。

ところで、長岡線はその後もひっそりと目立たずに存続しますが、既に13年前に廃止となった大河津(現:JR寺泊)~越後関原間には、いまだ線路が残り、その気になれば復活の可能性もありえる様な状況でした。それから更に30年以上が経過し、現在では、その可能性は完全に立ち消えましたが、1988年3月に行った廃線跡探訪をぜひお伝えしたいと思います。