ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第419話 1987年鹿島:梅雨晴れの霞ヶ浦

1987年は私が社会人になった年です。

入社初っ端は、新入社員研修やら工場実習やら3ヵ月ほど転々とし、結局、東京の技術部門に配属となり、蒲田勤務となりました。その頃はまだ新人だったので仕事もタイトではなく、土曜日は休みだったので家に居ても仕方なく、学生時代の彷徨癖で梅雨の明け切らない常磐線沿線に出向きました。

今回は、その頃の鹿島鉄道の話題です。

 

1.キハ715 (玉造町~浜:1987年6月)

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 1987年と言えば、JRが発足し鉄道業界も激変しましたが、筑波鉄道の廃止などローカル線にとっては厳しい年でした。この頃の鹿島鉄道は、幸い自衛隊百里基地のジェット燃料輸送を担っていたので、まずは安泰と思われましたが老朽化した車両の動向が気になりました。

 

2.キハ601+キハ602 (玉造町~浜:1987年6月)

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 この頃の鹿島鉄道はまだ乗客が結構多く、この日は土曜日でしたが、朝は2連も活躍していました。この2連は元国鉄キハ42000系コンビのキハ601+キハ602です。昭和初期の戦前製気動車ですが、調子が良い様で主力車でした。

 

3.キハ712+キハ714 (玉造町~浜:1987年6月)

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 写真の2連は、元芦別と元夕張の湘南型気動車です。鹿島鉄道はまだまだ湘南型気動車の楽園でした。

 この頃は平日の朝に気動車の3連も走っていました。しかし、平日に出向くことが出来ず、残念ながら湘南顔の3連は撮影できませんでした。

 

4.キハ712+キハ714 (玉造町~浜:1987年6月)

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 この日は、梅雨の晴れ間でした。前日の天気予報で晴れることを確認して、常磐線の始発でやって来ましたが、やはり梅雨の晴れ間はパッとしません。霞ヶ浦も字のごとく霞んでいます。非常に蒸し暑かった記憶があります。

 

5.キハ601+キハ602 (玉造町~浜:1987年6月)

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 当時は、鹿島鉄道にはまだ冷房車など存在しませんでした。よく見るとどの車両も窓が全開です。鹿島鉄道に冷房車が入るのは、この2年後に投入される新車のKR500形からとなりますが、この時は新車のことなど全く考えられませんでした。

 

6.キハ601+キハ602 (玉造町~浜:1987年6月)

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 そして、この戦前型気動車もその後冷房化されます。これも全くの想定外と言うか、驚異です。