ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第428話 1986年国鉄(北海道):酷寒の気動車(その4)

10日間ほど道内を放浪しました。

そして、もういいと言うほど、14形座席車に乗りました。この前日も宿代をけちって、14形の急行利尻号で車中泊でした。利尻号にはB寝台車が連結されていましたが、ここで寝台車に乗っては貧乏旅行の意味がありません。

この日は、早朝に稚内に着き、勢いでノシャップ岬まで歩きました。そして、宗谷本線を鈍行列車で札幌方面に戻ります。

途中、豊富で下車し、ローカルバスに乗り換えて、冬の原生花園に行ってみました。トドワラに続く第2弾の路線バスですが、バスの運転手さんに、こんな時期に何しに来たのか、不思議そうに問われました。まあ、普段見慣れない客であり、よほどの暇人か変人と思われたようです。ちなみに乗客は私一人。とりあえず、原生花園で降ろしてもらいましたが、積雪が2mほどあり、バス停も雪に埋もれて見当たりません。まさか適当に降ろされたわけじゃないと思いますが、バスの走る道路だけが溝のように除雪されていたので、下車したものの雪の壁しか見えず、ここがどこなのかさっぱりわかりません。乗って来たバスは、そのまま目的地(稚咲内)へ行ってしまいましたが、20分後には戻って来るので、それまで「溝の中」と言うか、道路でボーッと待つしかありませんでした。

1.JTB時刻表1986年1月号抜粋

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原生花園まで乗ったバスは、豊富駅から稚咲内という漁村に行く路線バスで、1日4往復しか走っておらず、「沿岸バス」というアバウトな名称のバス会社が運行していました。今も存続しているのか?

豊富では、トドワラの二の舞になってしまいましたが、そもそもこの時期に原生花園を見に行った私はやはりよほどの暇人か変人なのでしょう。
 

2.キハ22212+キハ22形 (音威子府:1986年3月)

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豊富から再びキハ22形に乗車です。宗谷本線を延々とキハ22形に乗り続け、もういい加減いやになった頃、音威子府に着きました。音威子府では12分停車なので、ここで乗って来たキハ22212を撮影しました。

 

3.JTB時刻表1986年1月号抜粋

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 豊富から乗った列車は、稚内発9:48(324列車)でした。この列車は稚内から旭川まで約260kmの道程を7時間かけて走ります。時刻表の列車番号に「D」がついていないので、以前は客車列車のスジだったのかも知れません。この時刻表にはまだ特急列車が見当たりません。「急行天北号」は今はなき天北線まわりの14形寝台客車(いわゆるブルートレイン)を連結した急行でした。時代を感じます。

 

4.DD53の除雪車 (音威子府:1986年3月)

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 音威子府では、珍しいDD53重連の除雪列車が待機していました。

もう3月の下旬ですが、音威子府はまだまだ真冬です。

 

5.キハ22209、キハ22294他 (朱鞠内:1986年3月)

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ギブアップではありませんが、宗谷本線のキハ22形324列車を名寄で下車しました。

ここからは、深名線に乗り換えです。この深名線の沿線は道内でも有数の豪雪地帯です。そして、ここから乗る列車は1日3往復しかない列車の1本です。

 

6.JTB時刻表1986年1月号抜粋

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私が乗ったのは、名寄発14:59(944D)でした。この列車に乗れば、朱鞠内で深川行に接続できました。接続時間は僅か3分。大変効率良いと思えますが、遅れたら接続列車が待ってくれる補償はなく、最悪、朱鞠内で引き返すことになり、大変リスキーでした。

 

7.朱鞠内駅 (朱鞠内:1986年3月)

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名寄から乗った列車は、定刻に朱鞠内に到着しました。朱鞠内は雪深い何もないところでした。なぜこんなところに鉄道が走っているのか?

いろいろ調べると、この深名線は朱鞠内から日本海側の羽幌線の羽幌まで新線を建設して、名寄~羽幌間を名羽線とする計画があったそうです。この新線はすでに1962年から着工されていましたが、国鉄の財政難で1981年に工事が凍結されてしまいました。しかし、その時点で路盤工事の82%、軌道工事の14%が完成していたそうです。結局、工事は再開されないまま計画は消滅してしまい、もったいない話です。

そして、ほとんどの道内のローカル線も同様ですが、赤字路線の深名線は廃止の運命です。 

 

8.キハ22209 (朱鞠内:1986年3月)

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 朱鞠内には定刻に到着したので、問題なく深川行に接続できました。そして、乗り換えた深川行の列車もキハ22形でした。

 

9.キハ40233+キハ40形 (鷹泊:1986年3月)

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 鷹泊と言う駅で対向列車と交換がありました。対向列車はキハ40形の2連です。もう夕暮れですが、なんとか撮影できました。

 

10.キハ22104+キハ22209形 (鷹泊:1986年3月)

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 深名線は廃止対象路線でした。乗ってみれば廃止も仕方ない路線であることがわかりました。JRになれば真っ先に廃止されるだろうと思っていました。ところがこの路線は沿線にまともな道路がなく、特に冬場は深名線が唯一の交通手段になることもあり、JRになってからも細々と存続し、廃止となったのは1995年でした。

さて、この日は朱鞠内から深川を経由して札幌まで戻り、翌日は上磯の日本セメント専用線を見に行き、そして本州に戻りました。

日本セメント専用線の様子は第299話、そして本州に戻ってから東京までの寄り道の様子は第66話~第71話を御覧ください。

この貧乏旅行は人生において非常に良い経験となりました。時間に余裕ができたらもう一度同じ経路を辿ってみたいと思いますが、もうローカル線の大半がなくなってしまい無理なようです。