1987年3月は、私にとっていよいよ学生最後の春休みとなりましたが、筑波鉄道の最後でもありました。この年は年明けから暇な学生時代の最後の悪あがきで、常磐線沿線の非電化私鉄を彷徨していましたが、その最後の締めは筑波鉄道でした。
筑波鉄道は3月31日が最終日でしたが、私は27日の晩にバイト先の仲間が開いてくれた最後の飲み会に参加して、その勢いで28日の早朝にいつもの友人と筑波に出向きました。
1.キハ821 (常陸桃山~真壁:1987年3月)
筑波鉄道の最終日は明後日でしたが、さすがに4月1日から社会人となるので、これが本当の最後の悪あがきとなりました。
2.キハ821 (真壁~樺穂:1987年3月)
まずは、岩瀬行のキハ821がやって来ました。次もこの列車の折返しなので、キハ821の連続です。廃止3日前ですが、すでにさよならのヘッドマークを付けていました。
3.キハ821 (樺穂~真壁:1987年3月)
この日は真壁で下車して、真壁~樺穂間で最初の撮影を行いました。筑波は春霞が漂う晴天となり、二日酔いもそこそこに撮影に気合が入りました。
4.キハ301 (真壁~常陸桃山:1987年3月)
今度は、キハ301です。ちょうど春休みなので、結構マニアが詰めかけており、お祭り騒ぎの前兆を感じました。
5.キハ503 (真壁~樺穂:1987年3月)
ようやくオリジナルのキハ503が登場しました。なんと車体に筑波山のさよならペイントが描かれていました。こういうのが来ると廃止を実感します。
6.キハ503 (樺穂~真壁:1987年3月)
筑波山をバックにした、こんな光景も見納めです。
7.車内補充券
路線図の代わりに車内補充券を2点。左は筑波鉄道のもので、右は1970年代の関東鉄道筑波線時代のものです。券面の標記レイアウトは、関東鉄道グループ共通の様式でした。この2枚を見比べると、筑波線内の駅表示は変化がありませんが、国鉄の駅表示は、関東鉄道時代は友部以下、水戸線の駅が表示されているのに対し、筑波鉄道になってからは、下館以外は常磐線と都内の駅しか表示されていません。やはり関東鉄道時代は、まだ水戸線小山に直通していた名残が車内補充券に残っていたようですが、筑波鉄道になった頃には、もう水戸線に乗り継ぐ需要もなくなったことが見て取れます。