ご年配のローカル線ファンなら、東金と言えば「九十九里鉄道」ではないでしょうか。
私はその実物を見るこが出来ず、東金も無縁の地でしたが、1984年に東金で衝撃的な出会いがありました。
その頃、レールマガジン誌に連載されていた「THEトロッコ」は、毎回楽しみで、このために毎月レールマガジン誌を購入していました。その中でも創刊3号の「チバ県トロッコものがたり」は大変興味深く、思わず東金商店街に出向いてしまいました。
当時、東金商店街には自家用のトロッコ軌道を保有するお店が3軒ありました。いずれもレールマガジン誌に掲載されてから有名となり、他の鉄道誌などにも紹介されて、相当な来訪者があったようです。
しかし、もう36年も前のことで、これからご紹介するトロッコ軌道はすでに現存しません。ちなみにトロッコ軌道を保有されていたお店もありません。建物も建て替えられてトロッコ軌道の痕跡すらないそうです。
今回は久々にインスタントカメラ時代のプリントを家庭用コピー機でスキャンしたため、大変お見苦しい画像となりましが、ご了承下さい。
1.伊勢孫本店 (1984年3月)
まずは、米麹を製造販売されていた伊勢孫本店さんの本格的な自家用軌道です。
こちらの軌道は東金商店街では一番大規模で、自前の機関車もありました。軌道はお店の正面軒下から敷設されており、写真の看板あたりから右折してお店の裏側へと向かいます。
2.伊勢孫本店軌道路線図
路線図を見て頂くと、この軌道は単なる商店トロッコではなく、濃縮された産業軌道であることがわかります。転車台が3カ所あり、複雑に側線が分岐していますが、側線には意味があり、個々に機能している様でした。
現物を見るまでは、実物大の模型程度と軽視していましたが、現在の様に汎用の搬器がまだ普及していなかった頃の、かなり真面目な自家用運搬設備の傑作です。こういうのを産業遺産として残して欲しかったです。
3.伊勢孫本店 (1984年3月)
それでは、伊勢孫本店さんにお邪魔して見学開始です。
この写真はお店の正面から裏へ向かう軌道を撮影したものですが、コンクリート舗装された立派な併用軌道になっていました。
4.伊勢孫本店 (1984年3月)
お店の裏には、この軌道の拠点があり、小さなターンテーブルとそこから側線が放射状に敷設されていました。
5.伊勢孫本店 (1984年3月)
そして、このシートを被った物体が、お店の御主人お手製の機関車です。
木枠の台車に耕運機のエンジンを搭載した4軸車です。しかし、機関車と言ってもベースはクボタの耕運機なので、運転は耕運機同様に運転手は歩きながらハンドル操作します。当時のレールマガジン誌では、この様な耕運機改造機関車を「バッタロコ」と表現されていました。なぜこんな機関車が必要だったのかは、後ほど説明します。
6.伊勢孫本店 (1984年3月)
ターンテーブルから分岐する側線には、なんだか良くわからない車両?が留置されていました。この車両は何なのか? 動力車ではなさそうですが、木製トロッコの上に電動モーターと奇妙な機械が載っていました。
7.伊勢孫本店 (1984年3月)
このターンテーブルの周辺は、意味不明なトロッコ台車や軽トラまで同居していました。
7.伊勢孫本店 (1984年3月)
側線は、お店の裏にある建物内にも延びており、そこにもターンテーブルがありました。写真は建物内のターンテーブルですが、麹製造用の木枠を高く積み上げたトロッコが載っていました。そして、このターンテーブルの左方向に延びるレールが、この軌道の本線です。