ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第445話 1991年名鉄(揖斐):朝の旧型3連を見に行く

1991年9月は、連休を利用して関西方面のローカル私鉄早回りを行いました。

東京から夜行の大垣行き鈍行に乗り、朝一で名鉄揖斐線に寄り道しました。

名鉄揖斐線の朝と言えば、かつてはモ510形、モ520形の3連が有名でしたが、モ520形が引退し、モ510形も主力から退くと、元瀬戸線OBが3連を組んで活躍していました。

 

1.モ751+モ702+ク2323 (旦ノ島~尻毛:1991年9月)

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しかしながら、この瀬戸線OBも、年齢的にはモ510形とほとんど変わらぬ老体です。ここでこの3連が残ったのは、輸送力確保のためと思われます。この当時、揖斐線にはモ770形という新型の2連接車が導入されており、モ510形に代わる岐阜市内線直通車として運用されていましたが、この老体3連の輸送力には敵いませんでした。

 

2.モ752+モ703+ク2325 (旦ノ島~尻毛:1991年9月)

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そんなわけで、この瀬戸線OBはまだまだこの先も主力の座に君臨し続けます。

 

3.モ751+モ702+ク2323 (旦ノ島~尻毛:1991年9月)

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もうお彼岸の頃でしたが、朝から岐阜は蒸し暑く、非冷房のこの車両は、側窓全開でした。この列車は黒野行なので、ラッシュとは逆方向ですが、結構混んでしました。

 

4.モ751+モ702+ク2323 (旦ノ島~尻毛:1991年9月)

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 忠節行の3連は満員御礼状態です。押し込まれた乗客は、運転席の横にまで入り込んでいるのが見えます。

 

5.モ754+ク2326 (旦ノ島~尻毛:1991年9月)

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 現在この路線は存在しません。名鉄の大英断により、2005年に揖斐線美濃町線岐阜市内線が一挙に廃止され、あっという間に15年が経ちましたが、これほどの輸送需要にもかかわらず、バブル期を過ぎると大手私鉄はお情け無用の時代になりました。

 

6.キハ8203+キハ8202+キハ8201+キハ8205+キハ8204 (日比野:1991年9月)

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この写真はおまけです。偶然、日比野で見かけたキハ8000系です。そして、これらの車両は最後まで残った、ロングボディーのキハ8200形5両でした。

ちょうど、北アルプス号を引退した後だったと思われ、ここに留置されていたようです。国鉄キハ82形と名鉄パノラマカーをたして割ったような車両です。かつては高山本線から富山を経由して富山地鉄立山宇奈月温泉まで乗り入れていた異色の特急車です。ここで逢うのも何かの縁。この写真が遺影となりました。